2024 統治体からの話(2)
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00:00:02
兄弟姉妹ようこそ00:00:03
00:00:04
2023年の年次総会から
どんなことを学べましたか00:00:08
00:00:09
「地上の人全てを裁く方」エホバが00:00:11
00:00:11
どれほど憐れみ深いか
よく分かりましたね00:00:14
00:00:15
ノアの時代の洪水で死んだ人00:00:17
00:00:17
ソドムとゴモラが
滅ぼされた時に死んだ人00:00:20
00:00:20
さらに大患難の最中に
心を入れ替える人が00:00:24
00:00:24
エホバの憐れみから
恩恵を受けられると聞いて00:00:27
00:00:27
温かい気持ちになりました00:00:29
00:00:30
年次総会が終わってからも
エホバの憐れみについて00:00:33
00:00:33
じっくり考えて
きたんじゃないでしょうか00:00:36
00:00:36
統治体もまさに
そうしてきました00:00:39
00:00:39
祈りつつ聖書を調べ
深く考え00:00:42
00:00:42
話し合いを重ねた結果00:00:44
00:00:44
統治体は重大な悪事に関わった人を
エホバがどう見ているかに00:00:49
00:00:49
改めて注意を向ける
ことができました00:00:52
00:00:52
この話では エホバが
悪いことをした人にどう接してきたか00:00:56
00:00:56
聖書中の例を振り返ります00:00:58
00:00:59
そしてクリスチャン会衆内で起きる
重大な悪事に00:01:02
00:01:02
長老たちが
どう対応するかについて00:01:05
00:01:05
新しい情報もお伝えします00:01:07
00:01:09
ペテロ第二 3:9には
こうあります00:01:12
00:01:12
「神は 一人も
滅ぼされることなく00:01:14
00:01:15
全ての人が悔い改める
ことを望んでいる」00:01:18
00:01:18
ここからエホバがどんなことを
願っているかが分かりますね00:01:22
00:01:22
エホバは全ての人に
悔い改めていつまでも00:01:26
00:01:26
生き続けてほしいと
願っています00:01:29
00:01:29
最初の人間夫婦が
神に反逆したため00:01:32
00:01:32
人類は罪を負い
死ぬようになりました00:01:36
00:01:37
エホバはどうしましたか00:01:38
00:01:39
2人の子孫の
できるだけ多くの人が00:01:42
00:01:42
再びいつまでも生きられるように
するため すぐに手を打ちました00:01:46
00:01:46
信仰を持ち 心を入れ替えて
生き方を改める人が00:01:51
00:01:52
イエスの犠牲によって
罪を許されるようにしました00:01:55
00:01:55
そういう人たちが
ずっと生きられるようにするためです00:01:59
00:01:59
ですから 聖書の中でエホバが
悪いことをした人に00:02:03
00:02:03
生き方を改めるよう
呼び掛けているのも00:02:05
00:02:05
驚くようなことでは
ありません00:02:07
00:02:08
自分のもとから
離れていった人に00:02:10
00:02:10
戻ってくるよう
何度も訴えています00:02:12
00:02:13
ローマ 2:4の次の言葉の通りです00:02:17
00:02:18
「それともあなたは 神が
ご親切にも悔い改めに00:02:23
00:02:23
導こうとしてくださっていることを
知らず 神の豊かな親切と00:02:29
00:02:29
寛容と辛抱を
軽く見ているのですか」00:02:33
00:02:34
悪いことをした人が
生き方を改められるよう00:02:37
00:02:37
エホバが助けの手を差し伸べた
例を見てみましょう00:02:41
00:02:41
カインが弟のアベルを憎んで
殺してしまいたいとまで思った時00:02:45
00:02:46
エホバはカインに話し掛けて
説得しようとしました00:02:49
00:02:50
ダビデが過ちを犯した時
エホバは預言者ナタンを通して00:02:54
00:02:54
事を正せるよう助けました00:02:56
00:02:56
イスラエル国民に対しては
どうでしょうか00:02:59
00:02:59
聞く耳を持たないイスラエル人にも
エホバは繰り返し訴えました00:03:05
00:03:05
エゼキエル 33:11で
次のように呼び掛けています00:03:11
00:03:11
「生きている私自身に懸けて誓う
私は悪い人の死を喜ばず00:03:17
00:03:17
かえって 悪い人が生き方を変えて
生き続けることを喜ぶ00:03:23
00:03:23
悔い改めて
悪い行いをやめなさい00:03:27
00:03:27
イスラエル国民よ あなたたちが
死ぬようなことがあってよいだろうか」00:03:32
00:03:32
何が分かりますか00:03:34
00:03:34
エホバは人に生き方を変えるよう
無理強いすることはありません00:03:39
00:03:39
でも罪を負っている人間のことを
深く思いやっています00:03:44
00:03:44
エホバはそうできるときには
いつでも許そうとします00:03:48
00:03:48
過ちを犯した人が00:03:50
00:03:50
心を入れ替えられるよう
助けるため00:03:52
00:03:52
あらゆる手を尽くします00:03:54
00:03:55
私たちの神は本当に憐れみ深く
思いやりにあふれています00:04:00
00:04:00
統治体は 会衆内で悪事を
犯した人にどう接すると00:04:05
00:04:05
エホバの憐れみにもっと倣えるか
よく祈って考えました00:04:10
00:04:10
そして3つの聖句について
よりよく理解できるようになりました00:04:15
00:04:15
1つ目の聖句は
テモテ第二 2:24, 25です00:04:22
00:04:22
パウロはこう書いています00:04:24
00:04:24
「主の奴隷は争う必要はありません00:04:27
00:04:27
必要なのは
誰にでも穏やかに接すること00:04:31
00:04:31
教える資格があること
不当な扱いを受けても自分を抑えること00:04:36
00:04:36
好意的でない人たちを
温和な態度で教えることです00:04:40
00:04:40
もしかしたら神は その人たちが
悔い改めて真理の正確な知識を00:04:45
00:04:45
得られるようにされる
かもしれません」00:04:47
00:04:48
パウロがここで言っている00:04:49
00:04:49
「好意的でない人たち」とは
誰のことでしょうか00:04:53
00:04:54
この聖句の英語のスタディー版聖書の
注釈にはこうあります00:04:59
00:04:59
「パウロが使っている
ギリシャ語の言葉は00:05:02
00:05:02
この文脈では クリスチャンの
教えに抵抗したり00:05:06
00:05:06
その教えに反して行動したり
する人たちを指している00:05:11
00:05:11
パウロは特に 聖書の
アドバイスに従ったり00:05:15
00:05:15
教え導く人たちの訓戒を
聞き入れたりすることを00:05:19
00:05:19
否定的に捉えていた
エフェソス会衆の人たちのことを00:05:23
00:05:23
念頭に置いていた可能性がある」00:05:26
00:05:26
今では 聖書のアドバイスを無視して
重大な悪事を犯す会衆の兄弟姉妹が00:05:33
00:05:33
この「好意的でない
人たち」に含まれます00:05:36
00:05:36
そういう人たちは長老に助けて
もらわなければいけません00:05:40
00:05:40
それで長老たちから成る委員会が
その人と話し合います00:05:45
00:05:45
長老たちが目指しているのは00:05:47
00:05:47
その人が心を入れ替えているかを
判断して裁くことではありません00:05:52
00:05:52
むしろテモテ第二 2:24, 25に
書かれている通りにします00:05:57
00:05:58
長老たちは温和な態度で
その人を教え00:06:02
00:06:02
正さなければいけません
何を目指してですか00:06:06
00:06:06
同じ2:25の別の注釈には
こうあります00:06:11
00:06:12
「クリスチャンの長老が
『好意的でない人たち』を00:06:15
00:06:15
穏やかに正したり教えたりすると
その人が悔い改める00:06:20
00:06:20
つまり『考えを改める』という
良い結果になることがある……00:06:25
00:06:25
その人が考えや態度を変えたのは
どんな人間の功績でもなく00:06:30
00:06:30
エホバの功績00:06:31
00:06:32
強情だったクリスチャンが00:06:34
00:06:34
その重要な変化を遂げるよう
助けたのはエホバだから00:06:39
00:06:39
パウロはそう書いた後
そうした悔い改めの00:06:41
00:06:41
素晴らしい結果を
幾つか挙げている00:06:44
00:06:44
つまり 真理の正確な
知識を得ること00:06:47
00:06:47
本心に立ち返ること
サタンのわなから逃れることである」00:06:52
00:06:52
それで長老たちが目指すのは
その人が悔い改めるよう助けることです00:06:58
00:06:58
テモテ第二 2:24, 25を
よりよく理解できるようになった今00:07:03
00:07:03
従来のやり方を変える
必要があるでしょうか00:07:06
00:07:06
これまでは 委員会が
悪いことをした人と話し合うのは00:07:10
00:07:10
普通1度だけでした00:07:12
00:07:12
でも統治体は
委員会がその人と00:07:15
00:07:15
複数回話し合うことに
してもよいと判断しました00:07:19
00:07:19
どうしてですか00:07:20
00:07:21
啓示 2:21には イエスが
「イゼベルのような女性」に対して00:07:26
00:07:26
「悔い改めるための時間を
与え……た」とあります00:07:30
00:07:30
長老たちが愛情深く正すよう
努める時に 強情なその人は00:07:35
00:07:35
エホバに助けてもらって
本心に立ち返り00:07:38
00:07:38
生き方を改めるかもしれません00:07:40
00:07:41
悪いことをした人が悔い改めるなら
委員会はその人がサタンのわなから逃れ00:07:47
00:07:47
自分の足で真っすぐ歩いて
いけるよう牧羊を続けます00:07:51
00:07:52
この新しいやり方は
ダビデやイスラエル人に00:07:55
00:07:55
何とか立ち返ってほしいと
思って助け続けた00:07:58
00:07:58
エホバの姿勢に倣うものです00:08:01
00:08:01
ではバプテスマを受けた
18歳未満の未成年者が00:08:06
00:08:06
重大な悪事に関わる
場合はどうでしょうか00:08:09
00:08:10
これまではバプテスマを
受けた未成年者は00:08:13
00:08:13
クリスチャンである
親と一緒に00:08:15
00:08:15
委員会と話し合わなければ
いけませんでした00:08:18
00:08:19
これからは2人の長老が00:08:21
00:08:21
本人 そしてクリスチャンである
親と話し合います00:08:25
00:08:25
長老たちはその子が心を
入れ替えられるよう助けるために00:08:30
00:08:30
親がどんなことを
してきたかも確かめます00:08:32
00:08:33
親がその子を助けようと努力していて
その子も素直に応じているなら00:08:38
00:08:38
2人の長老はそれ以上対応する
必要はないと判断するかもしれません00:08:43
00:08:44
もちろん 長老たちはその子を
きちんとサポートしているかを00:08:49
00:08:49
時々親に確認します00:08:51
00:08:51
ではバプテスマを受けた未成年者が
振る舞いを改めず00:08:56
00:08:56
悪いことを続けるならどうなりますか00:08:59
00:08:59
その場合 長老たちから成る委員会が00:09:02
00:09:02
クリスチャンである親と一緒に
その子と話し合います00:09:06
00:09:06
こういう調整は悪いことをした人に
心を入れ替えてほしいと思っている00:09:11
00:09:11
エホバの願いに沿ったものだと
統治体は確信しています00:09:15
00:09:15
エホバはその人が
「本心に立ち返って00:09:17
00:09:17
悪魔のわなから逃れ」る
ことを願っています00:09:20
00:09:20
「神は 一人も滅ぼされることなく00:09:24
00:09:24
全ての人が悔い改めることを
望んでい」ます00:09:28
00:09:28
では2つ目の聖句は何でしょうか00:09:32
00:09:32
コリント第一 5:13です00:09:35
00:09:35
「皆さんの中から悪い人を除きなさい」00:09:40
00:09:40
聖書ははっきりと
悪いことをして改めない人を00:09:44
00:09:44
会衆から除くようにと教えています00:09:47
00:09:47
それはその人自身が
自分で選んだことの結果です00:09:52
00:09:52
どうしてそうなりますか00:09:53
00:09:54
長老たちが生き方を改められるよう
愛情深く繰り返し助けたにもかかわらず00:09:59
00:09:59
応じるのを拒んだのは本人だからです00:10:02
00:10:02
でも長老たちはその人を
会衆から除くことにするとしても00:10:07
00:10:07
二度と戻ってこれないという
印象を与えないようにします00:10:10
00:10:10
それで 委員会は会衆に
戻るために何が必要か00:10:14
00:10:14
ただ説明する以上のことをします
いったい何でしょうか00:10:20
00:10:20
長老たちは
数カ月後にまた話し合いたい00:10:23
00:10:23
と思っていることを伝えます00:10:25
00:10:25
その人が心を入れ替えたか
どうか確かめるためです00:10:29
00:10:29
本人がその話し合いの場に来るなら
長老たちは生き方を改めて00:10:34
00:10:34
会衆に戻ってくるよう温かく勧めます00:10:38
00:10:38
では以前に排斥された人00:10:41
00:10:41
もしかすると何年も前に
排斥された人はどうでしょうか00:10:44
00:10:44
中には自分がなぜ排斥されたのかを
覚えていない人もいるかもしれません00:10:49
00:10:49
ずっと前に悪いことを
やめているという場合もあります00:10:53
00:10:54
統治体は 長老たちには
そういう人を訪ね00:10:59
00:10:59
一緒に祈り00:11:00
00:11:00
会衆に戻ってくるよう
温かく勧める責任があると判断しました00:11:05
00:11:05
かなりの期間にわたって
会衆を離れていた人は00:11:09
00:11:09
エホバとの絆が
とても弱くなっているはずです00:11:13
00:11:13
それで 本人が望むなら 長老たちは
その人が会衆に復帰していなくても00:11:20
00:11:20
聖書レッスンを受けられるよう
取り決めます00:11:23
00:11:23
もちろん その人が会衆に戻りたい
と願っていなければいけませんし00:11:28
00:11:28
そういう聖書レッスンは必ず
長老たちが取り決めます00:11:33
00:11:33
統治体は 罪を負った人間を
深く思いやっているエホバに00:11:38
00:11:38
倣いたいと願っています00:11:40
00:11:40
それでできるだけ多くの人に
温かく手を差し伸べて00:11:44
00:11:44
会衆に戻るための道が
開かれていることを伝えます00:11:48
00:11:49
もしこの話を聞いているあなたが
今排斥されているなら00:11:54
00:11:54
あなたが会衆に戻ってこれるよう00:11:57
00:11:57
力を尽くしている長老たちのサポートを
受け入れてください00:12:01
00:12:01
今住んでいる地域の長老の
連絡先が分からないなら00:12:05
00:12:05
遠慮なく王国会館に行ったり
電話したりしてください00:12:10
00:12:10
そうやって助けを求めてください00:12:13
00:12:13
エホバはあなたに 帰ってきて
ほしいと思っています00:12:16
00:12:16
私たちもです00:12:18
00:12:19
もちろん私たちは00:12:20
00:12:20
コリント第一 5:11に
書かれている通り00:12:24
00:12:24
会衆から除かれた人とは
「接するのをやめ」ます00:12:28
00:12:28
そのような人とは「一緒に食事を
してもなりません」とも書かれています00:12:34
00:12:34
これは 会衆から除かれた人とは
交友を持ってはいけないという意味です00:12:39
00:12:40
とはいえこれは クリスチャンが00:12:42
00:12:42
排斥された人を会衆の集会に
招待してはいけない00:12:46
00:12:46
という意味ではありません00:12:48
00:12:49
排斥されているその人は
皆さんの家族や親戚00:12:52
00:12:52
あなたがレッスンで教えた人 あるいは
親しくしていた人かもしれません00:12:57
00:12:58
3月24日 日曜日に
記念式を祝うことになっています00:13:03
00:13:03
1年で一番大切な集会を控えた今
この調整がなされるというのは00:13:09
00:13:09
本当にいいタイミングだと
思いませんか00:13:11
00:13:12
では 排斥された人が
集会に来たらどうしますか00:13:16
00:13:17
これまでは 会衆から除かれたその人に
あいさつすることはありませんでした00:13:23
00:13:23
でも統治体は 会衆から除かれた人が
集会に来たとき00:13:29
00:13:29
簡単なあいさつをしたり
歓迎したりするかどうかは00:13:32
00:13:32
伝道者それぞれが00:13:33
00:13:33
聖書の教えによって整えられた良心に
沿って決定できると判断しました00:13:39
00:13:40
こんにちは00:13:41
00:13:41
会えてうれしいよ00:13:43
00:13:45
ありがとう00:13:46
00:13:50
もちろん長く会話したり
交友を持ったりすることはしません00:13:55
00:13:55
そうだとしても その人を無視する
必要はないということです00:13:59
00:14:00
では3つ目の聖句は
このことにどう関係しますか00:14:03
00:14:04
ヨハネ第二 9-11です00:14:06
00:14:07
読んでみます00:14:08
00:14:09
「キリストの教えを踏み越え
その教えに従い続けない人は皆00:14:14
00:14:14
神と結び付いていません00:14:16
00:14:17
キリストの教えに従い続ける人は
父とも子とも結び付いています00:14:22
00:14:23
キリストの教えに従わない人が
あなたたちの所に来たら00:14:27
00:14:27
家に迎え入れてはなりませんし
あいさつの言葉を掛けてもなりません00:14:32
00:14:33
あいさつの言葉を掛けるなら
その人の悪い行いに00:14:36
00:14:36
加わることになります」00:14:38
00:14:39
この言葉からすると 会衆から
除かれた人には誰にも00:14:43
00:14:43
あいさつの言葉を掛けては
いけないということでしょうか00:14:46
00:14:47
統治体はこの聖句の
文脈を調べてよく考えました00:14:51
00:14:52
そして使徒ヨハネが
ここで言っているのは00:14:55
00:14:55
背教者や悪いことを奨励する
人のことだと結論しました00:15:00
00:15:01
ヨハネはクリスチャンがそういう
人たちから悪い影響を受けないように00:15:06
00:15:06
あいさつの言葉を掛けても
いけないと強く指示していました00:15:10
00:15:11
それで もし排斥された人が
背教していたり00:15:16
00:15:16
悪いことを奨励していたりするなら00:15:19
00:15:19
長老たちがその人を
訪ねることはありません00:15:22
00:15:22
クリスチャンは そういう人に
あいさつすることも00:15:26
00:15:26
会衆の集会に来るよう
勧めることもしません00:15:29
00:15:31
この話では エホバが
悪いことをした人に00:15:35
00:15:35
生き方を改めてほしいと
願っていることを考えました00:15:38
00:15:38
また 3つの聖句をよりよく
理解できるようになったことで00:15:42
00:15:42
そういう人にどう接するべきかも
分かりました00:15:45
00:15:46
テモテ第二 2:24, 25に
書かれている通り00:15:50
00:15:50
長老たちの委員会は悪いことを
した人を愛情深く教え正します00:15:57
00:15:57
悔い改めるよう助けるためです00:15:59
00:16:00
コリント第一 5:13にある通り00:16:03
00:16:03
あくまでも悔い改めようとしない人は
会衆から除かれなければいけません00:16:09
00:16:09
それでも委員会は本人が
生き方を改めるべきことに気付いて00:16:14
00:16:14
戻ってこれるよう
精いっぱい助けます00:16:16
00:16:16
数カ後に話し合いの場を
設けることもします00:16:20
00:16:20
ヨハネ第二 9-11も
よりよく理解できるようになりました00:16:25
00:16:25
この聖句で言っているのは00:16:27
00:16:27
背教者や悪いことを
奨励する人たちのことです00:16:31
00:16:32
クリスチャン会衆から除かれた人
全員を指しているわけではありません00:16:37
00:16:38
エホバは最初の人間夫婦が
過ちを犯してからずっと00:16:42
00:16:42
悔い改める人たちを救うために
力を注いできました00:16:46
00:16:46
もちろんエホバは何でも
大目に見るわけではありません00:16:49
00:16:49
生き方を改めない人が自分の
したことの報いを受けないよう00:16:53
00:16:53
守ることもしません00:16:55
00:16:55
でもエホバはその人に何とかして
戻ってきてほしいと思っています00:17:01
00:17:01
愛しているからです00:17:03
00:17:03
エホバは一人も滅ぼされて
ほしくないと思っているので00:17:07
00:17:07
考えを改めるよう
呼び掛けています00:17:09
00:17:10
長老たちはそのエホバと一緒に働いて00:17:13
00:17:13
悪いことをした人が悔い改めるよう
助けることができます00:17:17
00:17:17
本当に栄誉なことです00:17:19
00:17:20
エホバの愛 憐れみ
思いやりについて深く考えるとき00:17:25
00:17:25
私たちのエホバへの愛は
どんどん強くなっていきます00:17:29
00:17:30
この話で考えたことはいずれ
研究用の「ものみの塔」誌の00:17:35
00:17:35
幾つかの記事で詳しく
説明されることになっています00:17:39
00:17:39
ぜひ楽しみにしていてください00:17:42
00:17:42
さらに長老たちには このことを
どのように実践できるかについての00:17:47
00:17:47
指示が与えられます00:17:49
00:17:49
エホバの愛や憐れみが表れた
この新しい指針に沿った取り組みを00:17:55
00:17:55
エホバが後押しして
くれるよう願っています00:17:59
00:18:00
最後に 統治体から次のお知らせを
読むよう依頼されています00:18:06
00:18:07
「統治体は姉妹たちが伝道するとき00:18:12
00:18:12
あるいはクリスチャンの
集会や大会に出席するとき00:18:16
00:18:16
スラックスを着用しても
よいと判断しました00:18:19
00:18:20
姉妹たちがそういうときに着用する
スラックスはカジュアルなものではなく00:18:26
00:18:26
上品で慎みの表れた
その場に合ったものであるべきです00:18:30
00:18:31
姉妹たちがプログラムに参加するときは00:18:34
00:18:34
それがその地域で一般的なら
スカートを着用するべきです00:18:40
00:18:40
もちろんプログラムに
参加しない姉妹の中にも00:18:44
00:18:44
スカートを着用したいと
思う人がいるかもしれません00:18:48
00:18:49
さらに兄弟たちは伝道するとき00:18:52
00:18:52
あるいはクリスチャンの
集会や大会に出席するとき00:18:57
00:18:57
ネクタイやジャケットを
着用しないことにしても構いません00:19:01
00:19:02
兄弟たちは
そのようなときに00:19:04
00:19:04
ネクタイやジャケットを
着用しない場合も00:19:07
00:19:07
カジュアルではなく
上品で慎みの表れた00:19:11
00:19:12
その場に合った服装を
するべきです00:19:14
00:19:15
兄弟たちがプログラムに参加するときは00:19:18
00:19:18
それがその地域で
一般的なら00:19:20
00:19:20
ネクタイやジャケットを
着用するべきです00:19:23
00:19:23
もちろんプログラムに
参加しない兄弟の中にも00:19:27
00:19:27
ネクタイやジャケットを着用したいと
思う人がいるかもしれません00:19:30
00:19:31
ベテルを訪問するときは00:19:32
00:19:33
それがその地域で一般的なら00:19:35
00:19:36
兄弟たちはネクタイや
ジャケットを着用し00:19:40
00:19:40
姉妹たちはスカートを
着用するのが望ましいでしょう」00:19:44
00:19:46
皆さん全てを愛しています00:19:48
00:19:49
エホバの証人の世界本部から00:19:52
00:19:52
JW Broadcasting®でした00:19:54
2024 統治体からの話(2)
-
2024 統治体からの話(2)
兄弟姉妹ようこそ
2023年の年次総会から
どんなことを学べましたか
「地上の人全てを裁く方」エホバが
どれほど憐れみ深いか
よく分かりましたね
ノアの時代の洪水で死んだ人
ソドムとゴモラが
滅ぼされた時に死んだ人
さらに大患難の最中に
心を入れ替える人が
エホバの憐れみから
恩恵を受けられると聞いて
温かい気持ちになりました
年次総会が終わってからも
エホバの憐れみについて
じっくり考えて
きたんじゃないでしょうか
統治体もまさに
そうしてきました
祈りつつ聖書を調べ
深く考え
話し合いを重ねた結果
統治体は重大な悪事に関わった人を
エホバがどう見ているかに
改めて注意を向ける
ことができました
この話では エホバが
悪いことをした人にどう接してきたか
聖書中の例を振り返ります
そしてクリスチャン会衆内で起きる
重大な悪事に
長老たちが
どう対応するかについて
新しい情報もお伝えします
ペテロ第二 3:9には
こうあります
「神は 一人も
滅ぼされることなく
全ての人が悔い改める
ことを望んでいる」
ここからエホバがどんなことを
願っているかが分かりますね
エホバは全ての人に
悔い改めていつまでも
生き続けてほしいと
願っています
最初の人間夫婦が
神に反逆したため
人類は罪を負い
死ぬようになりました
エホバはどうしましたか
2人の子孫の
できるだけ多くの人が
再びいつまでも生きられるように
するため すぐに手を打ちました
信仰を持ち 心を入れ替えて
生き方を改める人が
イエスの犠牲によって
罪を許されるようにしました
そういう人たちが
ずっと生きられるようにするためです
ですから 聖書の中でエホバが
悪いことをした人に
生き方を改めるよう
呼び掛けているのも
驚くようなことでは
ありません
自分のもとから
離れていった人に
戻ってくるよう
何度も訴えています
ローマ 2:4の次の言葉の通りです
「それともあなたは 神が
ご親切にも悔い改めに
導こうとしてくださっていることを
知らず 神の豊かな親切と
寛容と辛抱を
軽く見ているのですか」
悪いことをした人が
生き方を改められるよう
エホバが助けの手を差し伸べた
例を見てみましょう
カインが弟のアベルを憎んで
殺してしまいたいとまで思った時
エホバはカインに話し掛けて
説得しようとしました
ダビデが過ちを犯した時
エホバは預言者ナタンを通して
事を正せるよう助けました
イスラエル国民に対しては
どうでしょうか
聞く耳を持たないイスラエル人にも
エホバは繰り返し訴えました
エゼキエル 33:11で
次のように呼び掛けています
「生きている私自身に懸けて誓う
私は悪い人の死を喜ばず
かえって 悪い人が生き方を変えて
生き続けることを喜ぶ
悔い改めて
悪い行いをやめなさい
イスラエル国民よ あなたたちが
死ぬようなことがあってよいだろうか」
何が分かりますか
エホバは人に生き方を変えるよう
無理強いすることはありません
でも罪を負っている人間のことを
深く思いやっています
エホバはそうできるときには
いつでも許そうとします
過ちを犯した人が
心を入れ替えられるよう
助けるため
あらゆる手を尽くします
私たちの神は本当に憐れみ深く
思いやりにあふれています
統治体は 会衆内で悪事を
犯した人にどう接すると
エホバの憐れみにもっと倣えるか
よく祈って考えました
そして3つの聖句について
よりよく理解できるようになりました
1つ目の聖句は
テモテ第二 2:24, 25です
パウロはこう書いています
「主の奴隷は争う必要はありません
必要なのは
誰にでも穏やかに接すること
教える資格があること
不当な扱いを受けても自分を抑えること
好意的でない人たちを
温和な態度で教えることです
もしかしたら神は その人たちが
悔い改めて真理の正確な知識を
得られるようにされる
かもしれません」
パウロがここで言っている
「好意的でない人たち」とは
誰のことでしょうか
この聖句の英語のスタディー版聖書の
注釈にはこうあります
「パウロが使っている
ギリシャ語の言葉は
この文脈では クリスチャンの
教えに抵抗したり
その教えに反して行動したり
する人たちを指している
パウロは特に 聖書の
アドバイスに従ったり
教え導く人たちの訓戒を
聞き入れたりすることを
否定的に捉えていた
エフェソス会衆の人たちのことを
念頭に置いていた可能性がある」
今では 聖書のアドバイスを無視して
重大な悪事を犯す会衆の兄弟姉妹が
この「好意的でない
人たち」に含まれます
そういう人たちは長老に助けて
もらわなければいけません
それで長老たちから成る委員会が
その人と話し合います
長老たちが目指しているのは
その人が心を入れ替えているかを
判断して裁くことではありません
むしろテモテ第二 2:24, 25に
書かれている通りにします
長老たちは温和な態度で
その人を教え
正さなければいけません
何を目指してですか
同じ2:25の別の注釈には
こうあります
「クリスチャンの長老が
『好意的でない人たち』を
穏やかに正したり教えたりすると
その人が悔い改める
つまり『考えを改める』という
良い結果になることがある……
その人が考えや態度を変えたのは
どんな人間の功績でもなく
エホバの功績
強情だったクリスチャンが
その重要な変化を遂げるよう
助けたのはエホバだから
パウロはそう書いた後
そうした悔い改めの
素晴らしい結果を
幾つか挙げている
つまり 真理の正確な
知識を得ること
本心に立ち返ること
サタンのわなから逃れることである」
それで長老たちが目指すのは
その人が悔い改めるよう助けることです
テモテ第二 2:24, 25を
よりよく理解できるようになった今
従来のやり方を変える
必要があるでしょうか
これまでは 委員会が
悪いことをした人と話し合うのは
普通1度だけでした
でも統治体は
委員会がその人と
複数回話し合うことに
してもよいと判断しました
どうしてですか
啓示 2:21には イエスが
「イゼベルのような女性」に対して
「悔い改めるための時間を
与え……た」とあります
長老たちが愛情深く正すよう
努める時に 強情なその人は
エホバに助けてもらって
本心に立ち返り
生き方を改めるかもしれません
悪いことをした人が悔い改めるなら
委員会はその人がサタンのわなから逃れ
自分の足で真っすぐ歩いて
いけるよう牧羊を続けます
この新しいやり方は
ダビデやイスラエル人に
何とか立ち返ってほしいと
思って助け続けた
エホバの姿勢に倣うものです
ではバプテスマを受けた
18歳未満の未成年者が
重大な悪事に関わる
場合はどうでしょうか
これまではバプテスマを
受けた未成年者は
クリスチャンである
親と一緒に
委員会と話し合わなければ
いけませんでした
これからは2人の長老が
本人 そしてクリスチャンである
親と話し合います
長老たちはその子が心を
入れ替えられるよう助けるために
親がどんなことを
してきたかも確かめます
親がその子を助けようと努力していて
その子も素直に応じているなら
2人の長老はそれ以上対応する
必要はないと判断するかもしれません
もちろん 長老たちはその子を
きちんとサポートしているかを
時々親に確認します
ではバプテスマを受けた未成年者が
振る舞いを改めず
悪いことを続けるならどうなりますか
その場合 長老たちから成る委員会が
クリスチャンである親と一緒に
その子と話し合います
こういう調整は悪いことをした人に
心を入れ替えてほしいと思っている
エホバの願いに沿ったものだと
統治体は確信しています
エホバはその人が
「本心に立ち返って
悪魔のわなから逃れ」る
ことを願っています
「神は 一人も滅ぼされることなく
全ての人が悔い改めることを
望んでい」ます
では2つ目の聖句は何でしょうか
コリント第一 5:13です
「皆さんの中から悪い人を除きなさい」
聖書ははっきりと
悪いことをして改めない人を
会衆から除くようにと教えています
それはその人自身が
自分で選んだことの結果です
どうしてそうなりますか
長老たちが生き方を改められるよう
愛情深く繰り返し助けたにもかかわらず
応じるのを拒んだのは本人だからです
でも長老たちはその人を
会衆から除くことにするとしても
二度と戻ってこれないという
印象を与えないようにします
それで 委員会は会衆に
戻るために何が必要か
ただ説明する以上のことをします
いったい何でしょうか
長老たちは
数カ月後にまた話し合いたい
と思っていることを伝えます
その人が心を入れ替えたか
どうか確かめるためです
本人がその話し合いの場に来るなら
長老たちは生き方を改めて
会衆に戻ってくるよう温かく勧めます
では以前に排斥された人
もしかすると何年も前に
排斥された人はどうでしょうか
中には自分がなぜ排斥されたのかを
覚えていない人もいるかもしれません
ずっと前に悪いことを
やめているという場合もあります
統治体は 長老たちには
そういう人を訪ね
一緒に祈り
会衆に戻ってくるよう
温かく勧める責任があると判断しました
かなりの期間にわたって
会衆を離れていた人は
エホバとの絆が
とても弱くなっているはずです
それで 本人が望むなら 長老たちは
その人が会衆に復帰していなくても
聖書レッスンを受けられるよう
取り決めます
もちろん その人が会衆に戻りたい
と願っていなければいけませんし
そういう聖書レッスンは必ず
長老たちが取り決めます
統治体は 罪を負った人間を
深く思いやっているエホバに
倣いたいと願っています
それでできるだけ多くの人に
温かく手を差し伸べて
会衆に戻るための道が
開かれていることを伝えます
もしこの話を聞いているあなたが
今排斥されているなら
あなたが会衆に戻ってこれるよう
力を尽くしている長老たちのサポートを
受け入れてください
今住んでいる地域の長老の
連絡先が分からないなら
遠慮なく王国会館に行ったり
電話したりしてください
そうやって助けを求めてください
エホバはあなたに 帰ってきて
ほしいと思っています
私たちもです
もちろん私たちは
コリント第一 5:11に
書かれている通り
会衆から除かれた人とは
「接するのをやめ」ます
そのような人とは「一緒に食事を
してもなりません」とも書かれています
これは 会衆から除かれた人とは
交友を持ってはいけないという意味です
とはいえこれは クリスチャンが
排斥された人を会衆の集会に
招待してはいけない
という意味ではありません
排斥されているその人は
皆さんの家族や親戚
あなたがレッスンで教えた人 あるいは
親しくしていた人かもしれません
3月24日 日曜日に
記念式を祝うことになっています
1年で一番大切な集会を控えた今
この調整がなされるというのは
本当にいいタイミングだと
思いませんか
では 排斥された人が
集会に来たらどうしますか
これまでは 会衆から除かれたその人に
あいさつすることはありませんでした
でも統治体は 会衆から除かれた人が
集会に来たとき
簡単なあいさつをしたり
歓迎したりするかどうかは
伝道者それぞれが
聖書の教えによって整えられた良心に
沿って決定できると判断しました
こんにちは
会えてうれしいよ
ありがとう
もちろん長く会話したり
交友を持ったりすることはしません
そうだとしても その人を無視する
必要はないということです
では3つ目の聖句は
このことにどう関係しますか
ヨハネ第二 9-11です
読んでみます
「キリストの教えを踏み越え
その教えに従い続けない人は皆
神と結び付いていません
キリストの教えに従い続ける人は
父とも子とも結び付いています
キリストの教えに従わない人が
あなたたちの所に来たら
家に迎え入れてはなりませんし
あいさつの言葉を掛けてもなりません
あいさつの言葉を掛けるなら
その人の悪い行いに
加わることになります」
この言葉からすると 会衆から
除かれた人には誰にも
あいさつの言葉を掛けては
いけないということでしょうか
統治体はこの聖句の
文脈を調べてよく考えました
そして使徒ヨハネが
ここで言っているのは
背教者や悪いことを奨励する
人のことだと結論しました
ヨハネはクリスチャンがそういう
人たちから悪い影響を受けないように
あいさつの言葉を掛けても
いけないと強く指示していました
それで もし排斥された人が
背教していたり
悪いことを奨励していたりするなら
長老たちがその人を
訪ねることはありません
クリスチャンは そういう人に
あいさつすることも
会衆の集会に来るよう
勧めることもしません
この話では エホバが
悪いことをした人に
生き方を改めてほしいと
願っていることを考えました
また 3つの聖句をよりよく
理解できるようになったことで
そういう人にどう接するべきかも
分かりました
テモテ第二 2:24, 25に
書かれている通り
長老たちの委員会は悪いことを
した人を愛情深く教え正します
悔い改めるよう助けるためです
コリント第一 5:13にある通り
あくまでも悔い改めようとしない人は
会衆から除かれなければいけません
それでも委員会は本人が
生き方を改めるべきことに気付いて
戻ってこれるよう
精いっぱい助けます
数カ後に話し合いの場を
設けることもします
ヨハネ第二 9-11も
よりよく理解できるようになりました
この聖句で言っているのは
背教者や悪いことを
奨励する人たちのことです
クリスチャン会衆から除かれた人
全員を指しているわけではありません
エホバは最初の人間夫婦が
過ちを犯してからずっと
悔い改める人たちを救うために
力を注いできました
もちろんエホバは何でも
大目に見るわけではありません
生き方を改めない人が自分の
したことの報いを受けないよう
守ることもしません
でもエホバはその人に何とかして
戻ってきてほしいと思っています
愛しているからです
エホバは一人も滅ぼされて
ほしくないと思っているので
考えを改めるよう
呼び掛けています
長老たちはそのエホバと一緒に働いて
悪いことをした人が悔い改めるよう
助けることができます
本当に栄誉なことです
エホバの愛 憐れみ
思いやりについて深く考えるとき
私たちのエホバへの愛は
どんどん強くなっていきます
この話で考えたことはいずれ
研究用の「ものみの塔」誌の
幾つかの記事で詳しく
説明されることになっています
ぜひ楽しみにしていてください
さらに長老たちには このことを
どのように実践できるかについての
指示が与えられます
エホバの愛や憐れみが表れた
この新しい指針に沿った取り組みを
エホバが後押しして
くれるよう願っています
最後に 統治体から次のお知らせを
読むよう依頼されています
「統治体は姉妹たちが伝道するとき
あるいはクリスチャンの
集会や大会に出席するとき
スラックスを着用しても
よいと判断しました
姉妹たちがそういうときに着用する
スラックスはカジュアルなものではなく
上品で慎みの表れた
その場に合ったものであるべきです
姉妹たちがプログラムに参加するときは
それがその地域で一般的なら
スカートを着用するべきです
もちろんプログラムに
参加しない姉妹の中にも
スカートを着用したいと
思う人がいるかもしれません
さらに兄弟たちは伝道するとき
あるいはクリスチャンの
集会や大会に出席するとき
ネクタイやジャケットを
着用しないことにしても構いません
兄弟たちは
そのようなときに
ネクタイやジャケットを
着用しない場合も
カジュアルではなく
上品で慎みの表れた
その場に合った服装を
するべきです
兄弟たちがプログラムに参加するときは
それがその地域で
一般的なら
ネクタイやジャケットを
着用するべきです
もちろんプログラムに
参加しない兄弟の中にも
ネクタイやジャケットを着用したいと
思う人がいるかもしれません
ベテルを訪問するときは
それがその地域で一般的なら
兄弟たちはネクタイや
ジャケットを着用し
姉妹たちはスカートを
着用するのが望ましいでしょう」
皆さん全てを愛しています
エホバの証人の世界本部から
JW Broadcasting®でした
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