2025 統治体からの話(4)
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兄弟姉妹の皆さん ようこそ00:00:05
00:00:05
お会いできてうれしいです00:00:08
00:00:08
今日はどうすれば聖書を使って00:00:11
00:00:11
良い決定ができるかについて考えます00:00:15
00:00:15
でもその前に元気が出るような
ニュースがあります00:00:20
00:00:20
最近行われた
2つの特別大会についてです00:00:25
00:00:26
2025年5月23日から
25日にかけて00:00:30
00:00:30
ボリビアのサンタ・クルスで
特別大会が行われました00:00:35
00:00:35
これはエホバの証人がボリビアで開いた
イベントの中で一番大きなものでした00:00:41
00:00:41
10カ国ほどから
1900人以上のゲストが来て00:00:45
00:00:45
最高出席者数は1万9233人でした00:00:50
00:00:50
うれしいことに 277人が
バプテスマを受けました00:00:56
00:00:56
6月13日から15日には00:00:59
00:00:59
アルバニアのティラナで
特別大会が開かれました00:01:03
00:01:03
最高出席者数は8987人でした00:01:08
00:01:08
その中には17カ国から来た
2000人ほどのゲストも含まれています00:01:14
00:01:14
これはアルバニアで開かれた
エホバの証人の大会の中で00:01:18
00:01:18
過去最大のもので00:01:21
00:01:21
83人がバプテスマを受けました00:01:25
00:01:25
エホバに仕える人たちがみんなで
清い崇拝を行っているのを見られるのは00:01:30
00:01:30
本当にうれしいことです00:01:33
00:01:33
詩編 133:1の
次の言葉を思い出しますね00:01:39
00:01:39
「兄弟たちが一致して共に住むのは
何と素晴らしいことだろう00:01:44
00:01:45
何と心地よいことだろう」00:01:48
00:01:49
では ここから私たちクリスチャンが00:01:53
00:01:54
ルールや規則ではなく00:01:56
00:01:56
聖書に基づいて良い決定をするには
どうしたらいいか 考えていきましょう00:02:03
00:02:03
ちょっと思い出してみてください00:02:06
00:02:06
子供の頃 親は私たちを守るために00:02:09
00:02:09
ルールを作ってくれたんじゃ
ないでしょうか00:02:12
00:02:12
道を渡るときには必ず手をつなぎなさい
とか言われたかもしれません00:02:18
00:02:18
親がそういうルールを作ったのは00:02:21
00:02:21
私たちを危険から守るためです00:02:24
00:02:24
でも 大きくなれば
親と手をつなぐ必要はなくなります00:02:30
00:02:30
危険がなくなったということでしょうか
そうではありません00:02:34
00:02:34
車が来ていないかどうかを
自分で確認して 00:02:38
00:02:38
安全に渡れるようになった
ということです00:02:42
00:02:42
それに どうでしょう00:02:44
00:02:44
健康な30歳の人が00:02:46
00:02:46
母親に手を引かれないと
道を渡れないとしたら00:02:50
00:02:50
ちょっと不思議ですよね00:02:53
00:02:54
同じように成長したクリスチャンは00:02:57
00:02:57
細かいルールがなくても
良い決定ができます00:03:01
00:03:01
それぞれの状況でどうすべきかを00:03:03
00:03:03
聖書に基づいて考えることができます00:03:07
00:03:07
聖書にはっきりとした
ルールがない場合には00:03:11
00:03:11
聖書によって整えられた
良心に基づいて決定します00:03:16
00:03:16
一例として 間違った宗教に
ルーツがあるとされる00:03:21
00:03:21
シンボルや慣習について
どう考えるべきでしょうか00:03:26
00:03:26
エホバの証人は
240もの国や地域にいます00:03:32
00:03:32
土地ごとに 根付いている
慣習やシンボルは違うことでしょう00:03:39
00:03:39
あるシンボルや慣習を受け入れるか
それとも避けるか00:03:43
00:03:43
どんなふうに判断したらいいでしょうか00:03:47
00:03:47
3つの要素について
考えることができます00:03:52
00:03:52
1つ目00:03:54
00:03:54
これをしたらエホバは悲しむだろうか00:03:58
00:03:58
コリント第二 6:17から
エホバの考えがはっきり分かります00:04:03
00:04:04
「エホバはこう言います00:04:06
00:04:06
『それで 彼らの中から出て
離れなさい00:04:10
00:04:10
汚れたものに触れるのをやめなさい』00:04:12
00:04:12
『そうすれば私はあなたたちを
受け入れよう』」00:04:17
00:04:17
この聖句からすると00:04:19
00:04:19
間違った宗教や心霊術と関係のある00:04:23
00:04:23
シンボルや慣習については
きっぱり避ける必要があります00:04:29
00:04:29
2つ目00:04:31
00:04:31
会衆の兄弟姉妹はどう感じるだろうか00:04:36
00:04:36
ローマ 14:19, 21には
こうあります00:04:41
00:04:41
「ですから 平和に役立つことや00:04:43
00:04:43
励まし合う助けになることを
何でも行いましょう」00:04:47
00:04:47
「肉を食べることや
ぶどう酒を飲むことなど 00:04:51
00:04:51
兄弟に過ちを犯させるような事柄は
何も行わないのがよいでしょう」00:04:57
00:04:57
シンボルや慣習そのものは
悪いものでないとしても00:05:01
00:05:01
会衆の人たちがそれについて
どう感じるかを考える必要があります00:05:08
00:05:08
仲間の感情を不必要に
かき乱すようなことは00:05:12
00:05:12
決してしたくありません00:05:14
00:05:15
また 成長した
クリスチャンである私たちは 00:05:18
00:05:18
一人一人に 聖書によって整えられた
自分自身の良心に基づいて00:05:24
00:05:24
決定する権利があることを認めます00:05:28
00:05:28
3つ目00:05:30
00:05:30
自分が住んでいる地域の人たちは00:05:33
00:05:33
このシンボルや慣習のことを
どう思っているだろうか00:05:37
00:05:37
コリント第一 9:20, 21, 23を
読んでみましょう00:05:43
00:05:44
「ユダヤ人に対しては
ユダヤ人のようになりました00:05:47
00:05:47
ユダヤ人を引き寄せるためです00:05:50
00:05:50
律法の下にいる人に対しては
律法の下にいる人のようになりました00:05:55
00:05:55
私自身は律法の下にいませんが00:05:57
00:05:57
律法の下にいる人を
引き寄せるためにそうしたのです00:06:01
00:06:01
律法を持たない人に対しては
律法を持たない人のようになりました00:06:06
00:06:06
私は⋯⋯キリストの律法の下にいますが 00:06:09
00:06:09
律法を持たない人を
引き寄せるためにそうしたのです00:06:13
00:06:13
私は良い知らせのために
全てのことを行います00:06:17
00:06:17
良い知らせを人々に伝えるためです」00:06:21
00:06:21
私たちも人々の見方や感じ方を
考えた上で判断するようにしましょう00:06:28
00:06:28
あるシンボルや慣習が
自分の国やコミュニティーで00:06:33
00:06:33
どう見なされているかを知ることは
とても重要です00:06:37
00:06:37
自分が住んでいる地域では
不快だとされることであっても00:06:42
00:06:42
ほかの地域では全く問題ないと
見なされている場合もあります00:06:49
00:06:49
1977年の「目ざめよ!」誌には00:06:53
00:06:53
次のような興味深いことが
書かれていました00:06:57
00:06:57
「ある時期あるいは場所において00:07:00
00:07:00
偽りの宗教と結びついていた
形やデザインに対して 00:07:05
00:07:05
クリスチャンのとるべき態度は
何かということです00:07:09
00:07:09
この問題は部屋の壁紙00:07:12
00:07:12
ネクタイやドレスに捺染された柄00:07:15
00:07:15
カフスボタン 腕環
ネックレースなどの装身具の選択に00:07:20
00:07:20
関係してくるかもしれません00:07:22
00:07:22
ランプや食器のデザインが
気になることさえあります00:07:26
00:07:26
『このデザインは偶像崇拝と何らかの
関連があるのではないか』と00:07:31
00:07:31
いぶかることがあるかもしれません」00:07:34
00:07:34
ここからが大切な点です00:07:37
00:07:37
「多くの場合 あるデザインの意義は
場所と時に応じて変化します00:07:42
00:07:42
特定の形は ある時
そして場所において⋯⋯00:07:46
00:07:46
特定の意味があるかもしれません00:07:48
00:07:48
しかし場所や時代が変われば⋯⋯
伝わる意味も異なります」00:07:53
00:07:53
「ゆえにクリスチャンにとって
気にする必要があるのはおもに⋯⋯00:07:57
00:07:57
ある象徴またはデザインが
何千年も前におそらく何を意味したか00:08:02
00:08:02
あるいは遠い他の国でそれが
どのように見られているかではなく00:08:07
00:08:07
自分の住む土地で 大抵の人にとって00:08:10
00:08:10
それが現在何を意味しているか
ということです」00:08:14
00:08:14
この「目ざめよ!」誌の記事には00:08:17
00:08:17
昔は間違った宗教と関連があったものの00:08:21
00:08:22
今ではそうした意味合いが
なくなっているシンボルが00:08:25
00:08:25
幾つか取り上げられていました00:08:28
00:08:28
ハート
フレール・デ・リー00:08:32
00:08:32
ザクロなどです00:08:34
00:08:34
そして 記事の結論部分には
こうあります00:08:38
00:08:38
「偽りの崇拝に使われてきたデザインは
様々のものが数多くあるため⋯⋯00:08:43
00:08:43
手間と時間をかけるならば00:08:45
00:08:45
身の周りにある
ほとんどすべてのデザインには00:08:48
00:08:48
好ましくない結びつきのあることに
気づくでしょう00:08:51
00:08:51
しかしなぜそんな事をするのですか00:08:54
00:08:54
それは不必要に
心を悩ますことではありませんか⋯⋯00:08:58
00:08:58
ある特定のデザインあるいは形が00:09:01
00:09:01
あなたの住んでいる場所で一般に
宗教的な象徴と考えられているならば00:09:07
00:09:07
それを避ける十分の理由があります00:09:10
00:09:10
あるいはまたその土地で
多くの人が何かの形00:09:13
00:09:13
またはデザインに
特に敏感になっているならば00:09:17
00:09:17
円熟したクリスチャンは
不必要に人の心を乱したり00:09:21
00:09:21
人をつまずかせたりしないために
それを避けることを選ぶでしょう」00:09:26
00:09:26
本当に役立つ
アドバイスじゃないでしょうか00:09:30
00:09:30
慣習についても00:09:33
00:09:33
時代と共に人々の見方は
変わっていきます00:09:38
00:09:38
2000年1月8日号の
「目ざめよ!」誌には00:09:41
00:09:42
「一般的な習慣に対する
平衡の取れた見方」という00:09:47
00:09:47
記事が載せられていました00:09:49
00:09:49
そこにはこうあります00:09:51
00:09:52
「人々の習慣は 宗教の影響を
色濃く受けてもきました00:09:56
00:09:56
実際 古い迷信や聖書に基づかない
宗教思想から生まれた習慣は00:10:01
00:10:01
少なくありません」00:10:04
00:10:04
この記事には幾つかの例が
載せられていました00:10:08
00:10:08
その中には 間違った宗教から
来ているとされているものもあります00:10:13
00:10:13
でも こうも書かれています00:10:16
00:10:16
「長い年月の間に
宗教的な結び付きは薄れ00:10:20
00:10:20
今日これらの慣行や習慣に
宗教的な意味合いは何もありません」00:10:26
00:10:26
「では クリスチャンはおもに
どんな点に関心を持つべきでしょうか00:10:30
00:10:30
特定の習慣の由来について
調べるべき理由もあるかもしれませんが00:10:35
00:10:35
ある場合にさらに大切なのは00:10:37
00:10:37
その習慣が今の時点において00:10:40
00:10:40
またその人の生活している
地域の人々にとって00:10:44
00:10:44
どんな意味があるかを考慮することです00:10:46
00:10:46
もしある習慣が 一年の特定の時期や
特定の状況のもとでは00:10:51
00:10:51
非聖書的であるとか00:10:53
00:10:53
好ましくない意味合いがある
という場合は00:10:56
00:10:56
クリスチャンは分別を働かせて00:10:58
00:10:58
その時には行なわないように
するでしょう」00:11:02
00:11:02
どんな例があるでしょうか00:11:05
00:11:05
あくびの時に口を押さえる
ことについてはどうでしょうかね00:11:10
00:11:10
古代の人たちは00:11:13
00:11:13
口から魂が
抜け出てしまうのを防ぐために00:11:17
00:11:17
そうしていたようです00:11:20
00:11:21
でも現代では それは
マナーの一部と見なされています00:11:26
00:11:27
心霊術的な意味合いがある
とは考えられていません00:11:32
00:11:32
結婚指輪はどうでしょう00:11:34
00:11:34
歴史家の中には 結婚指輪には
宗教的なルーツがあると言う人もいます00:11:40
00:11:40
でも現代では 結婚指輪は00:11:43
00:11:43
単にその人が結婚していることを
示す印と考えられています00:11:49
00:11:50
時期によって意味が
変わるものの例としては00:11:53
00:11:53
イルミネーションがあります00:11:56
00:11:56
ここウォーウィックのベテルでは00:11:58
00:11:58
バルコニーを 白く光る
イルミネーションで飾り付けて00:12:02
00:12:02
楽しんでいる人が多くいます00:12:04
00:12:05
でも 11月と12月には飾りません00:12:10
00:12:10
どうしてでしょうか00:12:12
00:12:12
この地域では イルミネーションが00:12:15
00:12:15
間違った宗教の祝いである
クリスマスを祝うために00:12:19
00:12:19
よく使われています00:12:21
00:12:21
それでベテル家族は00:12:23
00:12:23
クリスマスを祝っていると
思われることさえないように00:12:27
00:12:27
その時期にイルミネーションを
付けることを避けます00:12:31
00:12:32
ほかの慣習についても考えてみましょう00:12:35
00:12:35
乾杯はどうですか00:12:38
00:12:38
エホバの証人は長年00:12:40
00:12:40
乾杯は間違った宗教に
由来しているという理由で00:12:44
00:12:44
この慣習を避けてきました00:12:47
00:12:48
でも現代 多くの場所では00:12:52
00:12:52
乾杯に宗教的な意味合いがあるとは
全く考えられていません00:12:58
00:12:58
社交辞令の一部と考えられています00:13:02
00:13:03
それで統治体は00:13:06
00:13:06
祈って導きを求めつつ
じっくり考えた結果00:13:10
00:13:10
乾杯に関してルールを作る必要は
ないという結論に至りました00:13:17
00:13:17
クリスチャン一人一人が00:13:19
00:13:19
この話で取り上げたポイントを考え00:13:23
00:13:23
聖書で整えられた良心に基づいて
判断するようにします00:13:29
00:13:29
これはつまり これからは
どんな時でも どんな場面でも00:13:36
00:13:36
乾杯していいということでしょうか00:13:39
00:13:39
そうではありません00:13:42
00:13:42
ルールを作る必要は
ないというだけのことです00:13:47
00:13:47
一人一人が その時々の
状況についてよく考えて00:13:53
00:13:53
聖書に基づいて判断します00:13:57
00:13:57
エホバの証人は
240もの国や地域にいます00:14:02
00:14:02
状況は場所によってさまざまです00:14:06
00:14:06
それで エホバが聖書を通して00:14:09
00:14:09
ご自分の考えを教えてくれていることに
本当に感謝できます00:14:15
00:14:15
考えたい3つのポイントがありました00:14:18
00:14:18
1つ目に 一番大事なこととして00:14:22
00:14:22
私たちはエホバを愛していて
エホバを喜ばせたいと思っています00:14:28
00:14:28
それでこう考えましょう00:14:30
00:14:30
ここで乾杯したら
エホバは悲しむだろうか00:14:34
00:14:34
この乾杯には宗教的 また
愛国的な意味合いがあるだろうか00:14:41
00:14:41
それとも 単に友情を深め00:14:45
00:14:45
お互いを気遣っていることを
示すためのものだろうか00:14:50
00:14:50
2つ目に 私たちは兄弟姉妹を
愛しているので00:14:55
00:14:55
仲間の感情を不必要に
かき乱すことはしたくありません00:15:00
00:15:00
仲間の感情や良心に配慮します00:15:04
00:15:05
3つ目に エホバと人々を
愛している私たちは00:15:10
00:15:10
ある慣習が 自分が住んでいる
地域の人たちに00:15:14
00:15:14
どう受け止められているかに
よく注意を払います00:15:19
00:15:19
今日は何を学んだでしょうか00:15:22
00:15:22
愛情深いエホバは たくさんの
ルールで私たちを縛るのではなく00:15:27
00:15:27
聖書を通してご自分の考えを
教えてくれています00:15:33
00:15:33
そのおかげで 私たちは00:15:36
00:15:36
シンボルや慣習について00:15:39
00:15:39
バランスの取れた
良い判断をすることができます00:15:43
00:15:43
また ほかの人の良心に配慮することや00:15:48
00:15:48
自分の考えを押し付けない
ということも学びました00:15:52
00:15:52
エホバが 自分で考えて決める権利を00:15:55
00:15:55
全ての人に与えていることを
忘れないようにしましょう00:16:00
00:16:00
よく考えつつ 愛の気持ちから
聖書の教えを実践するなら00:16:06
00:16:06
仲間との絆を守り00:16:08
00:16:08
平和な関係でいることができます00:16:12
00:16:12
私たちの心からの願いは00:16:15
00:16:15
エフェソス 4:13にある通り00:16:19
00:16:19
「私たち[が]皆 信仰の一致と00:16:24
00:16:24
神の子についての
正確な知識の一致に達し00:16:29
00:16:29
十分に成長した人となり00:16:32
00:16:32
キリストの背丈に達する」
ことです00:16:35
00:16:35
そのことをいつも祈っています00:16:40
00:16:41
兄弟姉妹 忘れないでください00:16:44
00:16:44
私たちは皆さんを心から愛しています00:16:49
00:16:50
エホバの証人の世界本部から
JW Broadcasting®でした00:16:59
2025 統治体からの話(4)
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2025 統治体からの話(4)
兄弟姉妹の皆さん ようこそ
お会いできてうれしいです
今日はどうすれば聖書を使って
良い決定ができるかについて考えます
でもその前に元気が出るような
ニュースがあります
最近行われた
2つの特別大会についてです
2025年5月23日から
25日にかけて
ボリビアのサンタ・クルスで
特別大会が行われました
これはエホバの証人がボリビアで開いた
イベントの中で一番大きなものでした
10カ国ほどから
1900人以上のゲストが来て
最高出席者数は1万9233人でした
うれしいことに 277人が
バプテスマを受けました
6月13日から15日には
アルバニアのティラナで
特別大会が開かれました
最高出席者数は8987人でした
その中には17カ国から来た
2000人ほどのゲストも含まれています
これはアルバニアで開かれた
エホバの証人の大会の中で
過去最大のもので
83人がバプテスマを受けました
エホバに仕える人たちがみんなで
清い崇拝を行っているのを見られるのは
本当にうれしいことです
詩編 133:1の
次の言葉を思い出しますね
「兄弟たちが一致して共に住むのは
何と素晴らしいことだろう
何と心地よいことだろう」
では ここから私たちクリスチャンが
ルールや規則ではなく
聖書に基づいて良い決定をするには
どうしたらいいか 考えていきましょう
ちょっと思い出してみてください
子供の頃 親は私たちを守るために
ルールを作ってくれたんじゃ
ないでしょうか
道を渡るときには必ず手をつなぎなさい
とか言われたかもしれません
親がそういうルールを作ったのは
私たちを危険から守るためです
でも 大きくなれば
親と手をつなぐ必要はなくなります
危険がなくなったということでしょうか
そうではありません
車が来ていないかどうかを
自分で確認して
安全に渡れるようになった
ということです
それに どうでしょう
健康な30歳の人が
母親に手を引かれないと
道を渡れないとしたら
ちょっと不思議ですよね
同じように成長したクリスチャンは
細かいルールがなくても
良い決定ができます
それぞれの状況でどうすべきかを
聖書に基づいて考えることができます
聖書にはっきりとした
ルールがない場合には
聖書によって整えられた
良心に基づいて決定します
一例として 間違った宗教に
ルーツがあるとされる
シンボルや慣習について
どう考えるべきでしょうか
エホバの証人は
240もの国や地域にいます
土地ごとに 根付いている
慣習やシンボルは違うことでしょう
あるシンボルや慣習を受け入れるか
それとも避けるか
どんなふうに判断したらいいでしょうか
3つの要素について
考えることができます
1つ目
これをしたらエホバは悲しむだろうか
コリント第二 6:17から
エホバの考えがはっきり分かります
「エホバはこう言います
『それで 彼らの中から出て
離れなさい
汚れたものに触れるのをやめなさい』
『そうすれば私はあなたたちを
受け入れよう』」
この聖句からすると
間違った宗教や心霊術と関係のある
シンボルや慣習については
きっぱり避ける必要があります
2つ目
会衆の兄弟姉妹はどう感じるだろうか
ローマ 14:19, 21には
こうあります
「ですから 平和に役立つことや
励まし合う助けになることを
何でも行いましょう」
「肉を食べることや
ぶどう酒を飲むことなど
兄弟に過ちを犯させるような事柄は
何も行わないのがよいでしょう」
シンボルや慣習そのものは
悪いものでないとしても
会衆の人たちがそれについて
どう感じるかを考える必要があります
仲間の感情を不必要に
かき乱すようなことは
決してしたくありません
また 成長した
クリスチャンである私たちは
一人一人に 聖書によって整えられた
自分自身の良心に基づいて
決定する権利があることを認めます
3つ目
自分が住んでいる地域の人たちは
このシンボルや慣習のことを
どう思っているだろうか
コリント第一 9:20, 21, 23を
読んでみましょう
「ユダヤ人に対しては
ユダヤ人のようになりました
ユダヤ人を引き寄せるためです
律法の下にいる人に対しては
律法の下にいる人のようになりました
私自身は律法の下にいませんが
律法の下にいる人を
引き寄せるためにそうしたのです
律法を持たない人に対しては
律法を持たない人のようになりました
私は⋯⋯キリストの律法の下にいますが
律法を持たない人を
引き寄せるためにそうしたのです
私は良い知らせのために
全てのことを行います
良い知らせを人々に伝えるためです」
私たちも人々の見方や感じ方を
考えた上で判断するようにしましょう
あるシンボルや慣習が
自分の国やコミュニティーで
どう見なされているかを知ることは
とても重要です
自分が住んでいる地域では
不快だとされることであっても
ほかの地域では全く問題ないと
見なされている場合もあります
1977年の「目ざめよ!」誌には
次のような興味深いことが
書かれていました
「ある時期あるいは場所において
偽りの宗教と結びついていた
形やデザインに対して
クリスチャンのとるべき態度は
何かということです
この問題は部屋の壁紙
ネクタイやドレスに捺染された柄
カフスボタン 腕環
ネックレースなどの装身具の選択に
関係してくるかもしれません
ランプや食器のデザインが
気になることさえあります
『このデザインは偶像崇拝と何らかの
関連があるのではないか』と
いぶかることがあるかもしれません」
ここからが大切な点です
「多くの場合 あるデザインの意義は
場所と時に応じて変化します
特定の形は ある時
そして場所において⋯⋯
特定の意味があるかもしれません
しかし場所や時代が変われば⋯⋯
伝わる意味も異なります」
「ゆえにクリスチャンにとって
気にする必要があるのはおもに⋯⋯
ある象徴またはデザインが
何千年も前におそらく何を意味したか
あるいは遠い他の国でそれが
どのように見られているかではなく
自分の住む土地で 大抵の人にとって
それが現在何を意味しているか
ということです」
この「目ざめよ!」誌の記事には
昔は間違った宗教と関連があったものの
今ではそうした意味合いが
なくなっているシンボルが
幾つか取り上げられていました
ハート
フレール・デ・リー
ザクロなどです
そして 記事の結論部分には
こうあります
「偽りの崇拝に使われてきたデザインは
様々のものが数多くあるため⋯⋯
手間と時間をかけるならば
身の周りにある
ほとんどすべてのデザインには
好ましくない結びつきのあることに
気づくでしょう
しかしなぜそんな事をするのですか
それは不必要に
心を悩ますことではありませんか⋯⋯
ある特定のデザインあるいは形が
あなたの住んでいる場所で一般に
宗教的な象徴と考えられているならば
それを避ける十分の理由があります
あるいはまたその土地で
多くの人が何かの形
またはデザインに
特に敏感になっているならば
円熟したクリスチャンは
不必要に人の心を乱したり
人をつまずかせたりしないために
それを避けることを選ぶでしょう」
本当に役立つ
アドバイスじゃないでしょうか
慣習についても
時代と共に人々の見方は
変わっていきます
2000年1月8日号の
「目ざめよ!」誌には
「一般的な習慣に対する
平衡の取れた見方」という
記事が載せられていました
そこにはこうあります
「人々の習慣は 宗教の影響を
色濃く受けてもきました
実際 古い迷信や聖書に基づかない
宗教思想から生まれた習慣は
少なくありません」
この記事には幾つかの例が
載せられていました
その中には 間違った宗教から
来ているとされているものもあります
でも こうも書かれています
「長い年月の間に
宗教的な結び付きは薄れ
今日これらの慣行や習慣に
宗教的な意味合いは何もありません」
「では クリスチャンはおもに
どんな点に関心を持つべきでしょうか
特定の習慣の由来について
調べるべき理由もあるかもしれませんが
ある場合にさらに大切なのは
その習慣が今の時点において
またその人の生活している
地域の人々にとって
どんな意味があるかを考慮することです
もしある習慣が 一年の特定の時期や
特定の状況のもとでは
非聖書的であるとか
好ましくない意味合いがある
という場合は
クリスチャンは分別を働かせて
その時には行なわないように
するでしょう」
どんな例があるでしょうか
あくびの時に口を押さえる
ことについてはどうでしょうかね
古代の人たちは
口から魂が
抜け出てしまうのを防ぐために
そうしていたようです
でも現代では それは
マナーの一部と見なされています
心霊術的な意味合いがある
とは考えられていません
結婚指輪はどうでしょう
歴史家の中には 結婚指輪には
宗教的なルーツがあると言う人もいます
でも現代では 結婚指輪は
単にその人が結婚していることを
示す印と考えられています
時期によって意味が
変わるものの例としては
イルミネーションがあります
ここウォーウィックのベテルでは
バルコニーを 白く光る
イルミネーションで飾り付けて
楽しんでいる人が多くいます
でも 11月と12月には飾りません
どうしてでしょうか
この地域では イルミネーションが
間違った宗教の祝いである
クリスマスを祝うために
よく使われています
それでベテル家族は
クリスマスを祝っていると
思われることさえないように
その時期にイルミネーションを
付けることを避けます
ほかの慣習についても考えてみましょう
乾杯はどうですか
エホバの証人は長年
乾杯は間違った宗教に
由来しているという理由で
この慣習を避けてきました
でも現代 多くの場所では
乾杯に宗教的な意味合いがあるとは
全く考えられていません
社交辞令の一部と考えられています
それで統治体は
祈って導きを求めつつ
じっくり考えた結果
乾杯に関してルールを作る必要は
ないという結論に至りました
クリスチャン一人一人が
この話で取り上げたポイントを考え
聖書で整えられた良心に基づいて
判断するようにします
これはつまり これからは
どんな時でも どんな場面でも
乾杯していいということでしょうか
そうではありません
ルールを作る必要は
ないというだけのことです
一人一人が その時々の
状況についてよく考えて
聖書に基づいて判断します
エホバの証人は
240もの国や地域にいます
状況は場所によってさまざまです
それで エホバが聖書を通して
ご自分の考えを教えてくれていることに
本当に感謝できます
考えたい3つのポイントがありました
1つ目に 一番大事なこととして
私たちはエホバを愛していて
エホバを喜ばせたいと思っています
それでこう考えましょう
ここで乾杯したら
エホバは悲しむだろうか
この乾杯には宗教的 また
愛国的な意味合いがあるだろうか
それとも 単に友情を深め
お互いを気遣っていることを
示すためのものだろうか
2つ目に 私たちは兄弟姉妹を
愛しているので
仲間の感情を不必要に
かき乱すことはしたくありません
仲間の感情や良心に配慮します
3つ目に エホバと人々を
愛している私たちは
ある慣習が 自分が住んでいる
地域の人たちに
どう受け止められているかに
よく注意を払います
今日は何を学んだでしょうか
愛情深いエホバは たくさんの
ルールで私たちを縛るのではなく
聖書を通してご自分の考えを
教えてくれています
そのおかげで 私たちは
シンボルや慣習について
バランスの取れた
良い判断をすることができます
また ほかの人の良心に配慮することや
自分の考えを押し付けない
ということも学びました
エホバが 自分で考えて決める権利を
全ての人に与えていることを
忘れないようにしましょう
よく考えつつ 愛の気持ちから
聖書の教えを実践するなら
仲間との絆を守り
平和な関係でいることができます
私たちの心からの願いは
エフェソス 4:13にある通り
「私たち[が]皆 信仰の一致と
神の子についての
正確な知識の一致に達し
十分に成長した人となり
キリストの背丈に達する」
ことです
そのことをいつも祈っています
兄弟姉妹 忘れないでください
私たちは皆さんを心から愛しています
エホバの証人の世界本部から
JW Broadcasting®でした
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