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JW Broadcasting 2026年4月

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JW Broadcasting®にようこそ
今月は 私たちに対するエホバの
温かい見方について考えます
また ミカ書を調べて 誠実さや
慎み深さについて学びます
さらに ちょっとした親切が
人の心に響くことがある
ということについても考えます
では 今月もどうぞお楽しみください
皆さん 今日もよく頑張っていますね
でも こんなふうに感じることは
ありませんか
ある姉妹がこんな手紙を
送ってくれました
「どれだけエホバのことを愛して
エホバのために頑張っても
ちゃんとできていない気がするんです」
私たちは不完全なので 時に
どれだけ頑張っても
エホバに喜んでもらえていない
と感じてしまうことがあります
こういう気持ちになることも
あるかもしれません
「エホバが快く許してくれる
神だってことは知ってるけど
自分のことはなかなか許せない」
それがどれほど昔の失敗だったとしても
何度も思い出してしまって
がっかりしてしまったり やる気が
なくなってしまったりすること
ありませんか
私たちみんな そういう気持ちに
なることがあるものです
使徒ヨハネも手紙の中で
そのことに触れています
ヨハネ第一 3:19, 20です
今月のブロードキャスティングでは
この聖句に基づいて
「神は私たちの心より大きい」という
テーマでお話ししたいと思います
ヨハネ第一 3:19, 20には
こうあります
「そのようにして 私たちは自分が
真理から出ていることを確信し
神の前で安心できます
心に責められることがあっても
安心できるのです
神は私たちの心より大きく
全てのことを知っているからです」
ここでヨハネは「私たちは」
と言って始め
「心に責められることがあっても」
と言っていますね
ヨハネ自身も自分のことで
ネガティブな気持ちになることが
あったということです
でも ヨハネはそういう気持ちのままで
いることはありませんでした
この聖句から エホバが私たちのことを
温かい目で見てくれている
ということが分かります
聖句には 私たちは「真理から出ている」
ともありましたね
皆さんはどんなふうに
クリスチャンになりましたか
まず聖書を学んで
イエスが教えたことを調べて
これは真理だと確信しました
そして間違った教えを捨て
イエスのように 兄弟姉妹を愛し
エホバを悲しませない生き方を
するようになりました
そんな私たちは確かに
「真理から出ている」と言えます
私たちは真理によって変わりました
そのことを考えただけでも
エホバが私たちを
家族として愛してくれていると
自信を持って言えます
そうは言っても 心に責められることは
時折あるものです
どうしてそういうことが
起きるんでしょうか
聖書の中で使われている「心」という
言葉には広い意味があって
良心や感情など内面全体を
指すことがあります
「ものみの塔」1997年
8月1日号にはこうありました
「聖書は良心を⋯⋯
心と結びつけています
心は 気持ちや感情と関係があります」
その続きでは ローマ 2:15が
参照されています
その聖句では モーセの律法を
知らない人の場合を含め
良心がどのように機能するかが
書かれています
こうあります
「彼らこそ 律法の内容が心に
書かれていることを証明しています
彼らの良心が彼らと共に語り
彼らは自分の考えによって非難されたり
弁護されたりしているのです」
良心は私たちの行動が良いか悪いかを
教えてくれるということです
何かをする前に
警告してくれることもあれば
良くないことをした後に
責めてくることもあります
例えば ダビデは洞窟の中で
サウルの上着の裾を
切り取ったことがあります
サムエル第一 24:5によると
ダビデはその時「心」または
脚注によると「良心」が痛みました
エホバが選んだ王にとんでもないことを
してしまったということに気付き
後悔の気持ちに襲われたんです
良心があるからこそ 私たちは
自分の行動を振り返って
良かったかどうか
判断することができます
悪いことをしてしまった時には
心を入れ替えて生き方を変えるよう
良心が促してくれます
でも 自分に対してあまりにも
厳しい見方をしてしまうと
どれだけ誠実に反省しても
エホバに許してなんかもらえないとか
エホバに喜んでもらうには
完璧でないといけない
などと思うようになってしまいます
パウロは先ほどのローマ 2:15の中で
良心は私たちの行動が良かったか
悪かったかを判断すると言っていました
まるで裁判みたいですね
ここで裁判にかけられているところを
イメージしてみてください
いい裁判官は どんなことがあったのか
全てを調べます
訴える側の言うことも 弁護する側の
言うこともちゃんと聞きます
そうして初めて バランスの取れた
公正な判決を下せます
でも もし裁判官が
訴える側の話しか聞かなかったとしたら
どうなってしまうでしょうか
その人はあなたを訴えてこう言います
「この人はどうしようもない人で
悪いことばっかり考えています
救いようがありません
この罪をずっと背負って
生きていくべきです
終身刑にしてください」
裁判官がこの話だけを聞いて
弁護側の話を聞かなかったなら
こういう判決を下すでしょう
「あなたは有罪です
刑務所に行きなさい」
もし私たちの良心が
この片方の話しか聞かない
裁判官のようだったら
私たちはどうなってしまうでしょうか
罪悪感やネガティブな感情という
牢屋に閉じ込められ
抜け出せなくなってしまうでしょう
前を向けなくなってしまいます
あなたの良心はちゃんと
両方の話を聞いていますか
しっかりした良心は自分を責める
気持ちが襲ってくるとき
それがオーバーにならないように
抑えます
聖句に「弁護」するとあった通りです
そういうきちんとした
良心を持つためには
エホバの基準だけでなく
エホバがどんな方で
どんなふうに裁くかを
知る必要があります
「ものみの塔」
1976年12月1日号の
「自分の良心を訓練してより良い
働きをさせる」という記事には
こんなことが書かれていました
「神の言葉に またご自分の
しもべたちに対する
神の行動に現われている神の性質は
正しい良心を培う際の中心となる
ものとして⋯⋯前面に出てきます」
エホバを知ることがポイントです
聖書に書かれている通り
エホバは正しいことを愛する方です
でも同時に 私たちを裁く時 私たちの
限界を思いやって寄り添ってくれます
私たちのことを揺るぎなく
愛してくれます
エホバがそういう方だということを
知っていると
私たちも 何でも大目に見ることも
自分に厳しくなり過ぎることも
なくなります
バランスの取れた良心を
持つことができるんです
では 先ほどの例えに戻りましょう
エホバのことをよく知っていると
良心は裁く時
弁護側のこういう話もちゃんと聞きます
「待ってください
この人はそんな人じゃありません
もう十分 してしまったことを後悔し
反省しました
確かにやってしまったことは
変えられないかもしれませんが
今の彼を見てください
心を入れ替えて すっかり別人です
どうか許してあげてください」
こういうエホバの見方を知っていると
安心できますね
聖句にあった通り
「心に責められることがあっても
安心できるのです
神は私たちの心より大きく
全てのことを知っているからです」
本当にあったかい気持ちになりますね
私たちのことで エホバが知らない
ことなど何もないんです
私たちがしてしまった
間違いのことだけでなく
私たちが本当は正しいことをしたいと
思っているんだということを
分かってくれています
可能性に目を留めてくれています
周りからの影響 受け継いだ罪の影響
遺伝的な影響を受けていることも
分かってくれています
「洞察」の本の
「憐れみ」という項目には
こんなことが書かれています
「人間を無力にしている
根本的で最大の原因が
父祖アダムから受け継いだ罪に
由来していることは明白です
そのため すべての人は極度に
困窮しており 哀れな状態にあります
エホバ神は人類がこの大いに無力な
状態⋯⋯から自由になれるよう
手段を設けることにより⋯⋯
憐れみ深く行動してこられました」
私たちには決して乗り越えられない
限界があるということを
エホバは分かっているので
無理な期待をしたりはしません
神は私たちの心より大きい
ということが分かる
聖書中の例について考えてみましょう
ペテロです
ペテロはイエスのことを知らないと
一度だけでなく三度も
言ってしまいました
ちょうどその時 イエスが振り向き
目が合いました
ペテロにとって人生最悪の
夜だったことでしょう
その時のことは一生
忘れられなかったに違いありません
もしかするとその後 おんどりが
鳴くのを聞くたびに
その夜のことを思い出して
フラッシュバックに
襲われたかもしれません
「イエスなんて知らない
そんな人知らない」と言ってしまった
あの夜のことをです
イエスは ペテロがそういう
ネガティブな気持ちに
負けないようにしてあげたい
と思いました
どんなことをしたでしょうか
まず 復活したその日に
ペテロの所に行き
2人だけの時間を取りました
ペテロはそこでどれほど後悔しているか
伝えられたでしょう
イエスが何と言ったかは分かりませんが
ペテロにとってずっと忘れられない
ひと時となったはずです
その後 ヨハネ 21章にある通り
ほかの弟子たちがいる時にも現れました
そしてペテロに イエスを愛していると
3回言うチャンスをあげました
さらに みんなの前でペテロに
大切な務めを託しました
ペテロはイエスを知らないと
言ってしまった時の記憶に襲われた時も
イエスの優しさに触れた時のことを
思い出して救われたでしょう
エホバは本当に私たちの心より
大きい方です
ペテロもイエスの助けのおかげで
そのことを実感できました
では 学んだことを振り返ってみましょう
正しい良心は緩すぎることもなければ
厳しすぎることもありません
エホバと同じ見方をすることが大切です
エホバは私たちの努力を
認めてくれる方です
厳しい裁判官のようではありません
「神は私たちの心より大き[い]」
という聖句の通りです
そんなエホバの愛を
忘れないようにしましょう
私たちはエホバが望むことを
喜びを持って 胸を張って
行っていくことができます
ではここで 兄弟姉妹が
自分に自信が持てないという気持ちと
どう向き合っているか聞いてみましょう
見えない敵と終わりがない
闘いをしているって感じです
結構きついです
子供が2人いて 夫は長老で
私は開拓奉仕をしていました
何もかもうまくいってるって感じでした
でも突然 夫が死んで
私はやもめになりました
「やもめ」って言葉が嫌いでした
「弱くて何もできない人」って
言われてるような気がして
どん底にいるって感じでした
私には父親がいなくて
育ててくれた人も父親って
感じじゃなかったんです
何かにつけて 自分の
できてないところを言われて
「僕は出来損ないの役立たずだ」って
思うようになりました
大人になってもずっと
そんな考えが頭から離れませんでした
22歳の時に強迫性障害と
診断されました
ありとあらゆることが心配で
不安になってしまう病気です
一日中そういう気持ちが続きます
自分が何か悪いことをしたと思い込んで
警察に電話したくなる人もいます
出口の見えない長いトンネルの
中にいるみたいなんです
ネガティブな気持ちは
ずっと付きまとってきます
「もう大丈夫」なんて言えません
「心配しないで 私は大丈夫だから」って
言いたかったんですけど 無理でした
エホバと仲間がいなかったら
「自分にはもうできない
やっても駄目だ」って
思ってたと思います
ある時 友達も強迫性障害と
闘っていることが分かりました
自分と同じような不安とか悩みとか
心配と闘ってることが分かって
「うわ まじか エホバが出会わせて
くれたんじゃん」って思いました
友達に「もう悲しくて無理
どうしたらいいのか分からない」
って送ったら
「大丈夫だよ 話聞くよ」って
言ってくれたんです
割り当てられた話の準備をしている時
「どうして自分なんだろう
ほかにもっといい人がいるのに」
と思うことがあります
でもエホバは私の頑張りを
見てくれているんです
啓示 4:11には
「エホバは栄光と栄誉と力を受けるのに
ふさわしい方」だとあります
それを思い出すようにしています
エホバのためにベストを尽くすなら
大したことができていない
と思ったとしても
エホバは喜んでくれます
王国会館に行ってみんなに会ったら
泣いてしまうって分かってるとしても
集会に行くようにしています
歌の間 集会の間中ずっと
泣いたっていいんです
自分の気持ちを素直にさらけ出したら
エホバとも仲間とも もっと強い絆を
持てるようになると思います
エホバと同じ見方ができるよう
毎日祈りながら努力しています
私の病気のことをエホバが分かって
くれてると思うと ほっとします
たまにパニックになって
しまうことがあります
でも そういう時はいつも
「落ち着けるよう助けてください」
と祈ります
エホバが祈りを聞いてくれると
エホバの愛に包まれてるって感じます
ほんとに
ぐっときちゃいますね
こういうことで困ってるって祈ると
まだ誰にも言ってないのに
仲間がぴったりなサポートを
してくれるんです
間違いなくエホバです
エホバにしかできません
エホバはいつも味方でいてくれます
エホバがお父さんであることを
忘れないようにしています
ヨハネ 17章には イエスが最後の
晩にした祈りが書かれています
それを読むと エホバとイエスの間の
深い絆が分かります
自分もそれぐらいエホバと
距離を縮めたいんです
聖書を読むと エホバがやもめを
どう思ってるかが分かります
モーセの時代には やもめを
保護するための法律を作りました
エホバはやもめになった人たちを
大切にしてくれています
世の中の見方とは全然違うんです
そういうことを考えると
「やもめ」っていう言葉も
そんなに嫌じゃなくなりました
エホバは夫を亡くした人たちを
ぎゅっとハグして
「大丈夫だよ」って
言ってくれてるんです
エホバは 私たちが自分でも
気付いていないような良いところを
大事にしてくれるんです
その大きな愛で 私たちのできていない
ところを埋めてくれるので
エホバと一緒にいると
自分のことが好きになれます
エホバの考えは
私たちの考えよりも高くて
どんな気持ちも
苦しいことも悲しいことも
うれしいことも
全部分かってくれてるんです
これでもかっていうほど
愛してくれてます
エホバは私たちの祈りを聞いて
兄弟姉妹を通して元気づけてくれます
ウッド姉妹も
「エホバは私たちをぎゅっとハグして
大丈夫だよって言ってくれる」って
言っていましたね
姉妹のインタビューのフルバージョンが
今月中にリリースされる予定です
人に親切にしてもらうと
自分も人に親切にしたくなりますよね
親切なエホバにどのように見習えるか
今回の「鉄が鉄を研ぐ」で学びましょう
どうも ウィリスです
「鉄が鉄を研ぐ」 やっていきましょう
罪人も病気の人も子供たちも
イエスの所に行きたいと思ったのは
どうしてでしょうか
イエスが親切だったからです
エホバみたいにイエスはいい人にも
悪い人にも親切にしました
その人が自分に
親切にしてくれたかどうか
その人と仲がいいかどうかに関係なく
いつでもそうしました
親切は人の心を動かす
と分かっていたからです
そして エホバがたたえられるように
したいとも思っていました
じゃあ私たちは 誰に どんなふうに
親切にできるでしょうか
もう面会時間終わりなので
お帰りください
あ ごめんなさい
まだ大丈夫だと思ってた
あと5分あるじゃない
そうね でも帰った方が良さそう
アンナ また来るね
いい対応でしたね
もう少しいられたみたいですが
すぐに帰りました
文句も言わずにです
でも もっとできることが
あったでしょうか
もっと親切にするための
1つ目のステップは
相手の身になって考えることです
その人は今 どんな状況にいますか
何をされたらうれしいでしょうかね
そして よく話を聞きます
そうすれば気遣いが伝わります
ごめん ちょっと先行っててくれる?
あの
はい
アンナがお世話になってます
ほんとにありがとうございます
いいえ
さっきはすみませんでした
人手が少なかったりして
ちょっといっぱいいっぱいで
「ありがとう」の一言で心の扉が
開くことがありますね
看護師さんもうれしそうでした
相手が心を開いてくれたら
今度は温かく敬意を込めて話しましょう
それが2つ目のステップです
相手の心に寄り添うなら
それは話し方にも表れます
言葉やトーンをよく選んで
相手をもやっとさせるようなことは
言わないようにしましょう
人手が少なかったりして
ちょっといっぱいいっぱいで
気にしないでください
ナースのお仕事ってやりがいがあるけど
大変な時もありますよね
ほんとそんな感じで
でも美味しいお茶があると
気分も上がりますね
ああ でもさっきこぼしちゃって
おかわり入れる暇もなくて
ほんと かなり忙しかったんですね
いや ほんとに
私はマンディーと言います
メアリーです どうもありがとう
手を止めさせちゃって
ごめんなさいね また
素晴らしいですね
看護師さんの顔も明るくなっていました
でも さらに相手のためになることを
何かしてあげられるでしょうか
それが3つ目です
親切でいることには 気持ちや
言葉だけでなく 行動が関係しています
親切にするチャンスに
気付けるようでいたいですね
誰かのために何かをするには
時間やお金やエネルギーが
いるかもしれませんが
それだけの価値があります
これよかったらどうぞ
ええ そんな すみません
いいんです いいんです
よかったら飲んでください
ほんとにありがとうございます
ちょっと聞きたかったんですけど
はい
たくさんの人がアンナさんの
お見舞いに来られるんですけど
どうしてそんなに顔が広いんですかね
ああ 私たちエホバの証人で
友達っていうだけじゃなくて
家族みたいな仲なんです
ああ 皆さんいい人たちですよね
そんなふうに言ってくれて
ありがとうございます
親切にするときは 下心なく
純粋な気持ちでそうしましょう
聖書の話にならなくても
それでいいんです
いつも親切にしていれば
やがて心を開いてくれる人に
会えるかもしれません
では もっと親切な人になるための
3つのステップを復習しましょう
1つ目は 相手の身になって
考えることでした
その人はどんなことを考えたり
悩んだりしていますか
何か話してくれたら
じっくり聞きましょう
2つ目は 温かく敬意を込めて
話すことでした
相手に寄り添う気持ちは
声とか言葉から相手にも伝わります
3つ目は 相手のためになることを
することでした
親切にしていれば 心の扉を
開いてくれる人がいるかもしれません
親切というのは 小手先の技術で
できるものではありません
愛が必要です
イエスみたいな愛です
聖句にある通り
「愛は⋯⋯親切」だからです
自分を後回しにして人のことを
大切にできるようになるには
聖書を学んで
内面を磨く必要があります
どうしたらそんなふうに
聖書を深く学べるでしょうか
今回の「宝を探そう」では
ミカ書を調べます
ミカ書ってどんなイメージがある?
えー ママのお気に入りの聖句が
ミカ 6:8じゃなかった?
でも詳しいことはあんま分かんないな
お姉ちゃんも詳しくないんだよね
どこから調べたらいいかな
うーん まずはどんな時代に
ミカ書が書かれたかってことからかな
確かに 時代背景を知るのって大事よね
どうやったら分かるかな
うーん 欄外参照の聖句を
見るのがいいんじゃない
歴代第二 27章と29章が載ってるけど
これってちょうどミカが預言してた
時代じゃない
年表を見ると ヨタムとかアハズとか
ヒゼキヤが王様だった時代だね
アハズの時代は大変だったよね
アハズって本当に最低な王様
子供を犠牲にするなんて
ありえなくない?
確かにね でも悪かったのは
王様だけじゃないみたい
良い王ヨタムの時代にも
「民は依然として 身を滅ぼすような
行動を取っていた」ってあるし
ミカはそういう悪い人たちに
サマリアとエルサレムが
滅びるっていうメッセージを
伝えないといけなかったんだね
でも ミカのメッセージには
ポジティブなところもあったよね
そう エホバってめっちゃ辛抱強い
でも いつまでも辛抱する
わけじゃないよね
うん
エホバって正しい神だから
悪いことをしていない人が
困っているのを見てはいられない
だからイスラエル人を処罰したんだよね
でも そのまんま
諦めちゃうってことはなかった
エルサレムに戻ってこれるっていう
預言を伝えさせた
そうそう
ミカは そういう大切なメッセージを
頑張って伝え続けたんだね
ミカが言ってたことって
イザヤが言ってたことと似てるんだよね
ちょっと気付いちゃったんだけど
ミカ 4:1-3に書いてあることと
イザヤ 2:2-4に
書いてあることって
ほぼ全く一緒じゃない?
いいね ほかの聖句と
比べてみるのって面白いよね
別の聖句を読む時もやりたいよね
ほんとそれ しかもイザヤの方が
先に預言してたんでしょ?
ミカは「また同じこと言わないと
いけないの」って思ったかもしれないけど
でも ちゃんとエホバから
言われたことを伝えたんだね
だからもしかして 「その話
イザヤからもう聞いたけど」って
言われたかもしれないよね
それある
でもミカは エホバがイスラエル人のこと
本当に大好きで
これを絶対知ってほしいって
思ってるって考えたんだろうね
私もいつも同じこと伝えているなって
感じちゃう時も
ミカみたいに頑張ろうって思えた
お姉ちゃんはどう?
私が気になった聖句は
ミカ 3:5なんだけど
うん まあ とりあえず読んでみるね
「歯でかむ物がある時には
『平和だ!』と宣言し
口に何も入れてくれない者には
戦いを宣告する預言者たち」
ちょっ どういうこと?
面白い聖句だよね ほんと
すごいね
こういう ちょっと難しいなって思う聖句
好きなんだよね
立ち止まってじっくり考える
きっかけになるから
難しいなって聖句とか
あんまり参照資料がない聖句とかは
この聖句どんな意味なんだろうって
分析するようにしてるんだ
いいじゃん それ
ちょっとノート取るわ
立ち止まって分析する
まず考えたいのは最初の部分
「歯でかむ物がある時には
『平和だ!』と宣言し」ってあるけど
ここ脚注を見てみると
もしかすると 「かみながら
『平和だ!』と宣言し」ってあるね
これってどういう意味だと思う?
うーん たぶん預言者に
食べ物をあげたら
「平和が来る」みたいな
いいことを言ってくれるってことかな
そういうことだね
食べ物をもらった時はいい話をして
食べ物をもらえないと「戦いが起きる」とか
怖いことを言ったんだね
うわー でも そういう自分の得に
なることしかしない人って
今でもいるよね
自分が何のために頑張ってるかとか
人とどう接してるかとか
考えさせられるな
エホバは心の中まで見てる
エホバが大事にしてるのって
そういうとこじゃん
人に親切にするときも
お返し期待しちゃったり
してないかなとか
伝道するときも自分中心じゃなくって
人のこと考えられてるかなとか
言語を学んだり
もっと人に会える時間に伝道したり
できることいろいろあるよね
ミカの時代の悪い預言者たちみたいには
なりたくないな
エホバのために
働くチャンスがあったけど
やってたことはめちゃくちゃだった
でもエホバはそういうのを
見過ごさなかった
公正を愛する神だし
自分が愛している人たちが
苦しむのを放ってはおかない
お母さんの好きなミカ 6:8を
思い出すな
「神はあなたに
何が善いことかを伝えた
エホバがあなたに求めていることは何か
ただ公正を守り 揺るぎない愛を抱き
慎みを持って神と共に歩むことである」
この聖句 めっちゃいいよね
エホバが「考えすぎないで
これだけしてたら最高の人生に
なるから」って言ってくれてる感じ
今考えたことのまとめみたいな聖句だね
エホバは民が公正を守っていなくて
自己中だってことをミカに指摘させた
ミカはエホバを揺るぎなく愛してたから
エホバからのメッセージを
しっかりと伝え続けた
それに 人からよく思われようとせずに
慎みを持ってエホバと共に歩んだよね
おおー ちょっと調べただけで
ミカ書からもいろんな宝が見つかったね
ほんとだね 時代背景を調べたり
ほかの聖句と比べたり
立ち止まって分析したりすると
いろんなことが学べるね
結構楽しいね これ
ミカ書のこと もっと調べちゃう?
いいね ミカ書の宝 もっと探しちゃおう
ミカ書を読んでじっくり考えれば
皆さんも学べる点をたくさん
見つけられるでしょう
次の朝の崇拝の動画で
マレンフォント兄弟が
エホバの愛についてじっくり考えると
どんないいことがあるか話してくれます
記念式の時期は エホバとイエスが
私たちのことをどれほど
愛してくれているかを思い起こす
良い機会になります
エホバとイエスが
してくれたことを考えると
私たちも何かしたい
どうにか感謝を表したい
そんな気持ちに
なるんじゃないでしょうか
そういう私たちの気持ちが
コリント第二 5:14, 15で
説明されています
お手持ちのスマートフォンや
タブレットでどうぞご覧ください
「キリストの愛が私たちを
駆り立てるのです
私たちは次のように考えているからです
1人の人が全ての人のために
死にました
ということは 全ての人は
死んでいたのです
その方が全ての人のために
死んだのですから
生きている人たちはもはや
自分のために生きるのではなく
自分のために死んで生き返らされた方の
ために生きるべきです」
聖句の前半には 私たちが
自分のために生きるのをやめるよう
「キリストの愛が⋯⋯駆り立てる」
とありましたね
これは エホバの
願っていることをするよう
何か強制される
ということではありません
義務感からそうするという
わけでもありません
もっとポジティブな意味で
使われています
ある辞書の説明によると
「駆り立てる」という表現には
人の内面に「ある感情や反応を
引き起こす」という意味があるようです
皆さんもキリストの愛に駆り立てられて
いるんじゃないでしょうか
エホバとイエスがしてくれたことへの
感謝の気持ちにあふれ
これからの人生をエホバのために
生きていきたいと思うようになりました
そういう感情と反応が心の中に
引き起こされているわけです
パウロも私たちと同じような
感情になりました
エホバが贖いの犠牲を
与えてくれたことや
それによって可能になったことについて
どんなふうに思っていたか
ガラテア 2:20で書いています
ガラテアのクリスチャンへの手紙の
2章20節です
イエスがしてくださったことへの
抑えきれない熱い思いを
こう書いています
「私はキリストと共に
くぎ付けにされています
もう自分のためには生きておらず
キリストと結び付いて生きています
人間としての今の命を
神の子への信仰によって
生きているのです
神の子は私を愛し
私のために自分を
差し出してくださいました」
迫ってきますね
パウロは自分のために
イエスが死んでくれたということを
ちゃんと分かっていました
イエスが死んだのは 私たち
一人一人のためでもあります
私たちの身代わりとなってくれたんです
ほかにも 贖いの犠牲について考えると
エホバが惜しみなく
与える方であることも分かります
先ほど読んだ聖句にも
書かれていたように
私たちが生きられるのも
神のこの贖いへの信仰を
持っているからではないでしょうか
エホバは宇宙で一番太っ腹な方です
そのことがコリント第二 9:15で
見事に表現されています
こう書かれています
「言葉にできないほど素晴らしい
無償の贈り物を下さる神に
感謝しましょう」
「言葉にできないほど素晴らしい
無償の贈り物」
本当にパウロの言う通りですね
贖いの犠牲のおかげで可能になった
素晴らしいことについて話そうとしたら
時間がいくらあっても足りません
「ものみの塔」 一般用 2017年No.2
6ページにも贖いの素晴らしさについて
こんなことが書かれていました
ちょっと読んでみますね
「イエスの犠牲は 最も地位の高い方が
最も偉大な愛の動機から
与えてくださったものです
エホバ神ほど大きな犠牲を
払ってくださった方はいません
そしてこの犠牲は
人類を罪と死から解放するという
最も切実な必要を満たします
そうです 贖いには言葉では
表わせないほど大きな価値があり
それ以上に素晴らしい
贈り物はないのです」
本当にその通りだと思いませんか
でも 贖いの犠牲は私たちの命を
救ってくれるだけではありません
もっといろんなことも実現させて
くれるんじゃないでしょうか
私たちみんなが健康になります
地球はまた美しい楽園になります
亡くなった大切な人たちも
復活してきます
こういうことは全部贖いのおかげで
可能になるんです
イエスがしてくれたことは
言葉にできないほど素晴らしい
贈り物だと言えます
では今度は ペテロが贖いについて
どう感じていたか考えてみましょう
キリストへの愛は ペテロの内面に
どんな反応を引き起こしたでしょうか
ペテロ第一 1章の8, 9節を
ご覧ください
なかなかいい聖句ですよ
こう書かれています
「皆さんはキリストを
見たことはありませんが
[私たちも同じですね]
キリストを愛しています
今キリストを見てはいませんが
キリストに信仰を抱き
言葉にできないほどの素晴らしい
喜びを感じて歓喜しています
信仰の結果として
救いを得られるからです」
確かに私たちはそういう喜びに
満たされています
特に 立ち止まって エホバが
これまでしてきてくれたことや
これからしてくれることについて
考えると そう感じますよね
エホバは今でも聖なる力を使って
私たちがエホバのために働き
エホバをたたえ
楽しい毎日を送れるよう
助けてくれています
本当に素晴らしいことです
エホバがこれまでしてきてくれたことや
これからしてくれることについて
立ち止まってじっくり考えると
心は喜びにあふれ
穏やかな気持ちで過ごすことができます
聖なる力も助けてくれます
楽しく 感謝の気持ちにあふれて
エホバを信頼して生きていけるよう
助けてくれます
そのことがローマ 15:13に
こう書かれています
「希望を与える神が
信仰を持つ皆さんをあらゆる喜びと
平和で満たしてくださり
皆さんが聖なる力によって
希望に満ちあふれますように」
エホバは本当にたくさん良いものを
与えてくれていますね
そうやってエホバとイエスが
してくれていることを考えると
何かせずにはいられなくなります
エホバのお名前をたたえたい
エホバの願っていることをしたい
という思いに突き動かされます
そんな私たちの気持ちが
詩編 116:12, 14に書かれています
一緒に読んでみましょう
12節にまずこうあります
「私は何をしてエホバにお返ししよう
私のためにしてくださった
全ての良いことに対して」
そして14節にはこんなふうに
書かれています
「エホバへの誓約を果たす
[私たちも献身の誓いをしましたよね]
神の民全ての前で」と続きます
皆さんはエホバに何をして
お返ししたいと思いますか
きっとエホバとイエスをたたえて
エホバの願っていることを一番にする
生き方をしたいと思うことでしょう
それ以上に素晴らしい
生き方はありません
「何をしてエホバにお返ししよう」
ソバジョー兄弟姉妹もたびたび
そんなふうに考えてきました
エホバのためにベストを尽くしてきて
どんなふうに感じているでしょうか
伝道が大好きになったのは
両親の影響が大きいと思います
父は仕事から帰った後 週に1, 2回
着替えて私を奉仕に
連れていってくれました
母のリタが最初に真理を聞きました
それでエホバの証人の本が
家にあって 読んでみたら
「この生き方はすごい
こんな人生を送りたい」と思いました
結婚したばかりの頃 家族の世話とかも
なくて自由に動ける状況だったので
エホバのためにもっと何かしたいねって
夫婦で話し合いました
それで どんなことができるか考えて
ギレアデに申し込みました
卒業後は中央アフリカ共和国に
行きました
新しい言語を学んで
奉仕はすごく楽しかったです
聖書レッスンをしたい人の
順番待ちリストができるくらいでした
でも それから病気になってしまって
お医者さんから 国に帰った方が
いいと言われました
なかなか大変な時期でした
目標にしていたものも
できなくなってしまって
次に何をしていいのか分からなくて・・・
そんな時巡回大会で
国に戻って少ししてからの
巡回大会だったんですけど
私のことを小さい頃から知っている
巡回監督が来ていました
その兄弟が私の様子に気付いて
声を掛けてくれたんです
こう言ってくれました
「お二人はトレーニングを
たくさん受けてこられました
ぜひそれを生かしてください
できなくなってしまったことを
くよくよ考えるんじゃなくて
できることに目を向けてください」
その一言が力になりました
それから体調は少しずつ良くなっていき
開拓奉仕も再開できました
そうこうしているうちに 仕事の関係で
アメリカに移ることになりました
行ける会衆が3つあって
英語とフランス語と
スペイン語がありました
スペイン語会衆はできたばかりでした
妻と話し合って
学んできたことを生かして
もう一度新しいことにチャレンジして
みようかということになりました
妻は言語を学ぶのが得意で
すぐに話せるようになりました
でも私はというと とろくて
たくさん勉強しないといけませんでした
スペイン語会衆に来て25年になります
だいぶ話せるようになってきました
ここに来てほんとに良かったです
年齢を重ねると 若い頃みたいには
できなくなります
いろいろ心配なことも増えてきます
でも エホバはずっと助けてくれました
それに できないことじゃなくて できることを
頑張ってほしいって思ってくれています
エホバがまた違う扉を開いてくれたので
飛び込むことにしました
50代の頃 RBCの奉仕を
してたんですけど
その頃 ウォーウィックの建設が
始まったんです
周りのみんなが申し込んでて
行った兄弟姉妹はすごく楽しそうでした
でも 「体力的には
結構ハードだよ」とも聞いて
「じゃあ まずは体力作りからね」って
思いました
こんな感じだったんですよ
リビングに脚立を置いて
そこを仕事場に見立てて
登ったり下りたり 登ったり下りたり
登ったり下りたりして
15分くらいだったかな
見てると面白かったですね
でも そうやって頑張ったので 建設の
ために体を慣らすことができました
2人で合わせて100年以上
エホバに仕えてきました
これまで一緒にLDCの奉仕をしたり
刑務所での伝道や港湾伝道に
参加したりしました
エホバのためにできることが
ほんのちょっとだったとしても
エホバはそれ以上のものを
与えてくれるんです
エホバのために頑張ってきたことを
後悔することは絶対にないと思います
私たちは熱い気持ちでいっぱいです
若い人にもこういう生き方を
してほしいと思っています
私たちは一生現役です
これからもエホバのために
生きていきます
やめたりなんか絶対しません
これが最高の生き方なんです
ソバジョー兄弟姉妹は
エホバにもっとお返ししたいという
強い気持ちで頑張っていましたね
今月のミュージックビデオでは
惜しみなく与えてくれるエホバへの
感謝が歌われます
金色の夕波
ヤシの木 そよいでる
たき火の風 心地よく
心ほどけてゆく
あなたがくれたものを
じっくり数えてみた
「言葉にできないほど
素晴らしい無償の贈り物」
宇宙一 気前よく 手を開く方
躍る心に 感謝がともった
あなたに私も倣いたい
見返り求めず愛したい
手を開いていたい あなたのように
ためらわずに
あふれるほどの知恵を
与え 育ててくれる
爽やかさは永遠に
まるで波のように
あなたがくれた水を
味わってほしいから
どこでもどんな人にも
命の言葉を届けたい
だって
宇宙一 気前よく 手を開く方
躍る心に 感謝がともった
あなたに私も倣いたい
見返り求めず愛したい
手を開いていたい あなたのように
ためらわずに 愛示したい
あなたのように
宇宙一 気前よく 手を開く方
躍る心に 感謝がともった
あなたに私も倣いたい
見返り求めず愛したい
手を開いていたい あなたのように
ためらわずに
あなたのように
エホバがたくさんのものを
与えてくれていることが分かって
感動しましたね
エホバは宝がたくさん詰まった
聖書をくれました
みんなに思いやり深く親切に接する
方法も教えてくれています
私たちが自分の価値に
気付けるようにも助けてくれています
さて 今月は特別に もう1つあります
「永遠の幸せ」地区大会の
紹介動画が用意されました
どうぞご覧ください
人は人生でいいことがあると
自分は幸せだと感じるものです
でも 思いも寄らない問題に
ぶつかることもあります
いつまでも続く幸せなんて
あるんでしょうか
今から2000年近く前に
イエスは本物の幸せが
全てのものを造った神との
親しい友情から生まれると教えました
「幸福です⋯⋯
神の導きが必要であることを
自覚している人たちは⋯⋯
温和な人たちは⋯⋯
憐れみ深い人たちは⋯⋯
心の純粋な人たちは⋯⋯
平和をつくる人たちは」
どれも今の私たちに
とても大切なことを教えています
2026年「永遠の幸せ」
エホバの証人の地区大会に
お越しください
イエスの言葉にどんな意味があるか
一緒に確かめましょう
イエスの教えがどのように本物の幸せを
見つけるよう人を助けてきたか
聖書に基づく話や インタビュー
動画から学ぶことができます
大会は世界中で開かれ 入場は無料です
jw.orgでお近くの会場を探せます
皆さんにお会いできるのを
楽しみにしています
ぜひこの大会に家族や友人など
できるだけたくさんの人を
招待しましょう
大会で歌う歌も準備されています
「あなたたちの目は見るので幸せです」
というタイトルです
歌と歌詞をjw.orgや
JW Library®で
ダウンロードできます
大会で心を込めて歌えるように
今から練習しておきましょう
もし皆さんの言語でも
準備が整っていたら
2026年4月20日の週の
クリスチャンとしての生活と奉仕の
集会の結びに
この歌をみんなで歌うことができます
楽しみですね
今月のビデオレターは カリブ海に浮かぶ
観光客を引きつけてやまない国
ドミニカ共和国からです
この国にはカリブ諸島で
一番高い山があり
貴重な青い琥珀(こはく)の
名産地でもあります
この国の山や滝を巡ると
ほかの地域ではあまり見られない
珍しい動物に出会うことができます
サイイグアナや
ソレノドン
そして けたたましく鳴く
ヤシドリなどです
ドミニカの人たちは 温かくて
生き生きとした国民性で知られていて
アットホームでリラックスした
雰囲気があります
大勢で集まるときには
みんなが大好きな
サンコーチョという煮込み料理が
出されることがよくあります
ドミニカ共和国は メレンゲと
呼ばれるダンスミュージックの
発祥地でもあります
この国の国旗は世界で唯一
聖書が描かれている国旗です
「真理によって自由になります」という
ヨハネ 8:32の聖句が書かれています
このイエスの言葉通り 大勢の人が
聖書の真理を学んで
ナショナリズムや間違った宗教の
教えから自由になってきました
この国での活動は1945年4月に
宣教者のレナート・ジョンソンと
バージニア・ジョンソンが
やって来た時に始まりました
2人は到着したその日に
聖書レッスンを始めました
その後 もっと多くの
宣教者たちがやって来て
たくさんの人たちが宣教者ホームで
開かれる集会に来るようになりました
わずか3年後には 伝道者が
110人ほどになっていました
兄弟姉妹の活動は政府の目に留まり
独裁者のラファエル・トルヒーヨによる
迫害が始まります
トルヒーヨはバチカンの後ろ盾を
得ていて 全ての教会に
「天に神あり 地にトルヒーヨあり」という
スローガンを掲げるよう求めました
でも エホバの証人は決して
そうしようとしなかったので
1950年と1957年に
エホバの証人に対する
禁令が出されました
兄弟姉妹はそういう中でも勇気を持って
エホバに仕え続けました
目立たない形で伝道したり ひそかに
本や雑誌を印刷したりしました
その様子を次の再現動画でご覧ください
活動が禁止されている間も
エホバの証人の数は増えていきました
うれしいことに禁令は
1960年に解かれ
今では3万8000人以上の兄弟姉妹が
4万5000件以上の
聖書レッスンを行っています
集会は スペイン語だけでなく
ハイチ・クレオール語
英語 アメリカ手話 中国語
ロシア語でも開かれています
首都から150キロほど離れた山地には
コンスタンサという小さな町があります
今月のブロードキャスティングの最後に
その町にあるロス・ラウレレス会衆を
訪ねてみましょう
その会衆では134人の
伝道者が奉仕していて
そのうち36人が正規開拓者です
毎月平均170件以上の
聖書レッスンが行われています
この会衆の区域では 美しい山の
景色を楽しめるだけでなく
真理を知りたいと誠実に思っている
人たちにたくさん会えます
コンスタンサのロス・ラウレレス会衆の
兄弟姉妹から
皆さんに温かい愛とあいさつが
届いています
エホバの証人の世界本部から
JW Broadcastingでした